KYCファイル2025.04

【学習】青商会30年の歩み

平壌学生少年芸術団(ピョンコマ)公演の思い出

1978年の第1回ピョンコマ公演。

「当時まだ幼かった青商会世代も、ピョンコマ公演には大きな興奮と感動を覚えた」「祖国を描き、明るい未来に思いを馳せた」(中央青商会4代目会長の黄元圭さん)という。

 

「今の子どもたちにもピョンコマ公演を観せられないか」

壮大なプランを耳にした参加者たちは、にわかに沸き立ったという。懸念の声も出た。

喧々諤々の議論の後、ピョンコマ公演が予定され、公演準備事業の一環として73人の青商会代表団が祖国を訪問。

趙顕達さん(静岡)によると、「当初反対意見を持っていた人たちも含め、みんなが『ピョンコマ公演を成功させてやるぞ!』と意気揚々だった」。

祖国での日々を通じてボルテージが上った青商会は、その後も「アゲアゲムード」(黄元圭さん)でピョンコマ公演の準備活動に取り組んでいく。

日本を訪れた子どもたちにはどんな美味しいご飯を食べさせてあげようかとか、差し入れのお菓子はどれくらい準備すればいいかとか、他愛もない話が尽きなかったという。

数カ月後、再び祖国を訪問した中央青商会の役員らは学生少年宮殿でのリハーサルを観覧した。しかし、宮殿側が準備した公演内容と青商会側のイメージとの間には、乖離があったという。

在日同胞社会の生活や歴史、同胞たちの心情を反映した演目をもっと盛り込んだほうがいい、私たちが学生時代に親しんだ歌や日本でポピュラーな歌などを披露してほしいと伝え、青商会側の率直な意見。

演目全般を変更するのに、3日はかかるだろうなと考えていた矢先、宮殿の演出家は青商会一行を引き止め、「30分だけ待ってください!」と伝えたという。

30分後、青商会一行はその目を疑うことになる。要望にそって公演の内容が8割方変わり、素晴らしい演目が次から次へと披露されたのだ。

「ピョンコマ公演が日本で行われれば、間違いなく同胞たちに大きな感動と希望を与えられる」

確信をもって準備に臨んだ。

本番まで青商会が特に心を砕いたのは、学生少年たちが身につける衣類や生活用品。

当時の中央役員たちは、必要になる用品をすべて事前に準備して渡すことにしたという。

まずはカバンやベルト、生活用品を詰めた団員全員分のキャリーバッグ計48個を「万景峰」号で輸送、団服や舞台衣装、靴などをオーダーメイドで作るため団員たち一人ひとりの身体のサイズを採寸し、次回の祖国訪問に向けて急ピッチで準備に取りかかった。

次に、日本で仕立てた団服や靴、青商会が買い揃えたドラムセットやキーボードをはじめとした楽器など、事前に用意すべきすべての用品が万景台学生少年宮殿に届けられた。

2002年7月7日に発足した平壌学生少年芸術団公演中央実行委員会のメンバーたち

15年ぶりに日本で開催されるピョンコマ公演(10月30日~11月22日)は、初公演の開催地となる千葉にはじまり、千秋楽が行われる大阪まで13都市で30余回行われる。目標とする観客動員数は4万人。これが、「民族旋風」「アリラン旋風」を起こそうとする青商会の決意だった。

朝鮮新報に掲載されたピョンコマ公演の全面広告

予想に反し、市民やメディアからも多くの注目が集まった。「観覧予定者数は4万人を見込んでいたが、5万人にも達しそうな勢いで各地でチケットが飛ぶように売れた。ピョンコマ公演を開催するにあたり懸念されていた収支も、完全に黒字に傾いていた」(黄元圭さん)。

しかしー。

日本では「拉致問題」により朝鮮に対する反感、敵視の世論がつくられ、朝鮮学校に通う児童・生徒、学生たちへの嫌がらせが相次いだ。

中央常任幹事会第6期第3次会議議事録には、参加者たちの発言がこのように残されている。

「公演の延期、もしくは中止の意見が70~80%を占めている」「公演を断行しよう。」「最悪の事態が起きた場合、青商会が責任を持てるのか」

最終的には実行委員らによる投票で結論を下すことになった。その場にいた実行委員全員がそれぞれの意思を込めて投票した。その結果、1票差で公演決行の意見が上回った。

これを受け、黄元圭実行委員長は参加者たちに語った。「みんなの総意で決まったのだから、なにがあっても最後まで公演事業を成し遂げよう」。紆余曲折の末、中央実行委員会は公演に向けた最後のひと山を超えた。

ピョンコマ公演の実現は目前にまで迫っていた(2002年10月28日付の朝鮮新報)。

公演開催数日前に平壌から北京に入っていた一行は、北京にいた。

一行は成田行きの便のチェックインを済ませ、あと1時間ほどで飛行機に搭乗するところまできていた。しかし…

「公演は中止になりました」。状況を把握できなかった玄大植総務部長(当時)はその男性に疑いの目を向けたが、すぐに朝鮮大使館の職員だと気づいた。そして会話を進めるうちに事態を飲み込んだ。ピョンコマ公演が中止になったのだ。その瞬間、玄大植総務部長の頭は真っ白になり、ある考えが頭をよぎった。

平壌学生少年芸術団(ピョンコマ)公演を控え、各地の開催地では万全の準備が整っていた。しかし「拉致問題」を世論化し朝鮮敵視の姿勢を強めた日本政府は、公演出演者以外の随行員の入国を問題視し、直前になって随行員の入国を拒否。これを受けて朝鮮側は日本での公演を断念し、15年ぶりに日本で行われるはずだったピョンコマ公演は中止となった。

中央青商会の玄大植総務部長はその知らせを聞いた瞬間、真っ先にこう考えたという。「青商会が崩壊する」ー。

その頃、成田空港に向かっていた中央実行委員会のメンバーたちは、愕然としていた。

各地の青商会からは怒りや不満の声が噴出。中央青商会役員の解任を求める声まであがったという。夢にまで見た大舞台が目の前で霧散し、残ったのは莫大な損失と会員たちの不信感。実行委員長を務めた黄元圭さんが認めるように、青商会は「崩壊の危機」に立たされていた。

後日行われた中央常任幹事会では筆舌に尽くしがたい状況下で、直前会長であった許宗さんが口を開いてこう述べたという。

「ピョンコマ公演は、誰かにやれと言われて決まったのか?違うだろ。これは青商会独自の考えで始めたものだ。ならば公演中止を他の誰かのせいにするのは間違いじゃないか。赤字の額は莫大だが、自分たちでケツを拭こう。最後までやりぬくという強い気持ちを持たないとあかんぞ」

「許宗直前会長と黄元圭会長にいたっては公演中止が決まった後、それぞれ『自分が責任を取るから心配するな』と真っ先に声をかけてくれた。(当時幹事長の李長五さん)

そして中央常任幹事や各地青商会の役員らを中心にして、会員たちの気持ちをすくい上げ、莫大な財政的損害を埋めていく日々が始まる。

東京では当時会長だった具本憲さんが地域青商会の常任幹事会などに足を運び、役員たちに事情を説明して回った。「みんな虚無感に包まれていた。期待感が大きかっただけに、なおさら反動の度合いが強かった」。

ピョンコマ公演の中止が決まった後、大阪府青商会は緊急で常任幹事会拡大会議を招集した。しかし、役員を含めて大半の参加者たちがフォーラム開催に懐疑的であった。同胞飲食店で行われた会議では、青商会の解散や青商会からの脱会を求める人たちも。そんな険悪な雰囲気の中では、卓上に運ばれてきた料理が喉を通るはずもなかった。ただ一人を除いてはー。(続)

文責 中央青商会

参考文献

〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.5 ピョンコマ公演の実現へ(1)/「あの時」の感動と興奮を再び2021年02月09日、〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.5 ピョンコマ公演の実現へ(2)/学生少年らの姿に成功を確信2021年02月14日、〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.5 ピョンコマ公演の実現へ(3)/子どもたちを想う「親心」2021年02月20日、〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.5 ピョンコマ公演の実現へ(4)/「主人公」としての自覚2021年02月27日、〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.6 試練の中で試された真価(1)/莫大な損失と不信感2021年03月10日

【学習】青商会30年の歩み

朝青イルクンたちの講習会2025

日本各地の代表が朝青結成70周年を輝かせる決意で一致

朝青は2月23日から24日にかけて、東京で朝青イルクン(役員)たちの「中央講習会」を開催しました。

日本各地の本部・支部・班から約100名の代表が参加し、朝青結成70周年を迎えるにあたっての活動方針を共有し、大衆運動をさらに加速させる場としました。

今年、総聯とともに結成70周年を迎える朝青は、大衆運動「ハナモアプロジェクト」を展開し、組織の一体化と強化を図っています。

今回の中央講習会は、その実現に向けた大切な学びと実践の場となりました。

開会式では、朝青中央の李光日委員長が登壇し、「70周年を迎えるにあたり、朝青の役員としての自覚を持ち、組織の発展に貢献しましょう」と呼びかけ、参加者の士気を高めました。

その後、朝青中央の梁翔泰副委員長による基本講義が行われ、共和国の発展の様子や70周年記念事業の意義について詳しく説明がありました。

講義後には、全国各地の成功事例を共有する「経験交換会」が行われました。

東京・神奈川・北海道・大阪・福岡など、各地域の朝青代表が活動報告を行い、組織運営の工夫や活動の課題とその解決策について活発な議論が交わされました。

「他の地域の取り組みを知ることで、自分の支部の課題が明確になった」という声もあり、講習会の雰囲気は終始熱気に満ちていました。

さらに、総聯兵庫・姫路西支部の趙寿來宣伝文化部長(2018年「ウリ民族フォーラムin兵庫」開催時の県青商会会長)による座談会が開かれました。

テーマは「朝青の重要さとリーダーが備えるべき覚悟」。

趙部長は、「リーダーとは何か?」について熱く語り、「時には厳しい決断も必要だが、仲間と共に歩む覚悟が何より大事」と力強く訴えました。

「地域に根付いた活動が最も重要だ」「何事も夢をもって突き進もう」という言葉に、多くの参加者が深く共感し、「趙部長の話に勇気をもらいました」との声が多く上がっていました。

初日の夜は、参加者同士が夜通し飲みながら、熱く語り合う時間となりました。

「自分が朝青に入ったきっかけ」「支部での活動の苦労」「これから何をしていくべきか」など、話題は尽きることなく、自然と未来への決意を語り合う場になりました。

この夜には、中央青商会のサポートによる夜食も提供され、参加者たちは温かい食事を囲みながら、さらに深い交流を重ねました。

青商会の先輩たちのサポートで講習が成功裏に行われました。本当にコマプスムニダ!

翌日には、グループごとに「決意討論会」が開かれ、参加者は今後の実践目標を宣言。

「帰ったらまず支部の役員とこの学びを共有します!」「70周年を輝かせるために、一人でも多くの仲間を巻き込んでいきます!」と、それぞれが決意を新たにしました。

また、閉会式では3人の代表が決意表明し、会場は一体感と熱い熱気に包まれました。

講習会の最後には、懇親会が開かれ、参加者たちはさらに交流を深めました。

「うちの支部が朝青を先頭で引っ張っていく!」と力強く語る者もいれば、「9月21日のイベントでまた会おう!」と次の目標を共有し合う場面もありました。

参加者たちは、互いの決意を確かめ合いながら、70周年に向けた思いを新たにしました。

今回の講習会で得た知識と経験を活かし、朝青は各地の支部や班での活動をさらに盛り上げていきます。