KYCファイル2025.05

【学習】青商会30年の歩み

平壌学生少年芸術団(ピョンコマ)公演の思い出(続き)

各地の青商会から不満と怒りの声が噴出する中、ピョンコマの千秋楽公演に合わせて民族フォーラムを開催するはずだった大阪府青商会も揺れに揺れていた。

「こんな状況で民族フォーラムなんかやってどないすんねん!もうやめようや!」

緊急常任幹事会拡大会議ではフォーラムの中止、「青商会の解散」、「青商会からの脱会」を口にするメンバーも。

会議に参加した中央青商会の許宗・直前会長と李長五幹事長は事の成り行きをじっと見守っていた。

険悪なムードが流れる中、金致萬副会長(現・大阪府商工会 副会長)がまわりを見渡すと、実行委員長の高元亨会長(現・大阪府商工会 会長)はただ一人だけ、知らない顔をして料理を頬張っていた。

「賛否両論あるかもしらんけど、会長がこうしようと言ったらそれに従おうや。会として決まったのであれば何も言わず、最後まで一緒にやってみよ」

「内心ドキドキしていた」という金致萬副会長。不安を抱きながら、「ソンベ(先輩)、どうすんの?」と聞いた。

すると高元亨会長は箸を止め、いたって普通のトーン「え、なんでやめんの?やったらええやん」

その瞬間、張り詰めた空気が一気に弛緩しみんなが唖然としたという。このおっさん何を言い出すんだ、その自信はどこから湧いてくるんだと。

許宗・直前会長も「青商会として一度決めたことは最後までやり抜こう」と言い、大阪府青商会の背中を押した。

そんな中、高元亨会長は一人、安堵感に浸ったという。皆に見せていた余裕ある表情とは裏腹に「会員たちをどのように説得するか、ずっと悩んでいた」からだった。

フォーラムを通じて同胞社会に力を与え、子どもたちの笑顔を守りたかった。

「自分の中ではフォーラムをやらないという選択肢はなかった。仮にフォーラムを中止した場合、青商会が空中分解する恐れがあったし、会員たちが自信をなくして青商会活動が下火になっていくと考えていた。それに各地の青商会が大阪の動向に注目していた。もし大阪が投げ出したら、その後のフォーラムがどうなってしまうか。何より最悪の状況でみんなが落ち込んでいる時やからこそ、フォーラムを通じて同胞たちに力を与え、子どもたちの笑顔を守りたかった」(当時の高元亨会長)

大阪の意地

会長が言うなら。やる限りは楽しくしましょうと、青商会活動にほとんど参加しないようなやんちゃ小僧たちは、男の背中を見せたるわと演劇や合唱に出演してくれ、一人ひとりがフォーラムの『主人公』としての自覚を持つようになった。

幕開けを飾ったのは、150人の合唱団と16人のアカペラ隊による合唱「ウィハヨ」。“子どもたちのために、わが未来のために、民族のために、祖国統一のために…”。大阪府青商会が詞を作り、大阪朝鮮歌舞団が作曲した子どもたちへの応援歌は、オープニング早々から観客たちの心を揺さぶった。

吉本新喜劇と同胞のジョイント公演「コリアタウン物語」のワンシーン

フォーラムの目玉であった吉本新喜劇と同胞のジョイント公演「コリアタウン物語」が始まると、会場は終始爆笑の渦に包まれた。一方、朝鮮学校を建てるために献身する1世同胞を描いたシーンでは、何人もの観客たちが涙を隠せずにいた。

「『豊かな同胞社会のために』『コッポンオリたちの輝ける未来のために』という青商会の理念に変わりがないことを再確認する場となった」、「大阪府青商会の底力に大きな力をもらったし、救われた思いがした」(当時中央青商会会長の黄元圭さん

ピョンコマ公演の電撃的中止。

事後処理に一区切りがついたところで、専従活動家たちが祖国を訪問しピョンコマメンバーに日本で渡す予定だったプレゼントを携え万景台学生少年宮殿に足を運んだ。

そのとき、「誰にも明かされなかった事実」を知ることになるとは思ってもみなかった。

莫大な財政的損失を収拾することができた中央青商会にはまだやり残したことがあった。

それは、日本で行う予定だったピョンコマ公演の映像を収録し、各地の朝鮮学校に通う子どもたちや同胞らに届けることだった。「ピョンコマ公演を通じて同胞たちに夢と希望を与える」という当初の目的を忘れることはなかった当時の役員たちであった。

2002年12月、万景台学生少年宮殿を訪ねると、リョム・ユンハク総長をはじめとした学生少年宮殿の関係者たちが、出迎えてくれた。リョム総長の目には涙が。

ピョンコマ公演中止の知らせを聞いた2ヵ月前の記憶がフラッシュバックするー

公演中止が各地青商会に及ぼした影響が心に引っかかっていた玄大植総務部長(当時)だったが、彼らの表情を見るなり自然と涙があふれた。

宮殿内で設けられた面談で青商会側は、この間に日本で起きた出来事について説明し、祖国訪問の目的である公演の映像撮影について提起した。するとリョム総長は、青商会側の要求を二つ返事で快諾。そのうえで「実はこちら側でも準備しているものがあったんです…」と切り出した。

日本での巡回ツアーの合間に各地の朝鮮学校、総聯の支部及び分会事務所、高齢同胞の施設や自宅などで小公演を行えるよう万全の準備を整えていたピョンコマは、さらに、各地の朝鮮学校に足を運んだ時のため、ピョンコマの子どもたちはすべての朝鮮学校の校歌を覚えていたという。大小の公演で同胞たちに送るメッセージも、すでに子どもたちの頭の中にあった。

心の底から同胞たちを思い

青商会側の反応を見るなり、リョム総長は数人の子どもたちを呼んだ。そして、玄大植総務部長の出身校を含め、いくつかの学校の校歌を歌うよう指示した。すると、すぐにリクエスト通りの歌が返ってきた。思いがけない展開に、玄大植総務部長はまたしても涙を流さずにはいられなかった。

ピョンコマの学生少年たちは、各地の朝鮮学校に足を運んだ時のため、すべての朝鮮学校の校歌を覚えていたのである。

「公演中止を受けて憤慨した青商会の会員たちが少なくなく、『拉致問題』による反朝鮮キャンペーンの中で不信感を抱く人もいた。だが祖国は、異国で暮らす同胞たちのことを心の底から思い、出来る限りのことに最大限取り組んでくれていた。『祖国の愛情』はわれわれが考えている以上に深く、温かった」

玄大植総務部長(当時)はそのように回顧する。

青商会の祖国訪問からほどなくして、ピョンコマ公演の映像ビデオと各地朝鮮学校の校歌が収録されたCDが、各地の学校や団体へと配布された。

中央青商会の専従活動家たちは2002年以降も、祖国を訪問するたびに青商会が贈った制服や楽器が綺麗な状態のまま保管されていたのだ。理由を聞くと、このような言葉が返ってきた。

「青商会主催の日本公演が実現するその日まで、これらの備品には手をつけるわけにはいきません」

2012年、青商会は過去最大となる101人の代表団を組み、祖国を訪問。万景台学生少年宮殿で500人規模の公演を観覧した

2002年のピョンコマ公演中止によって一時は「崩壊の危機」に立たされた青商会。しかし、不退転の覚悟と信念のもとで試練を乗り越え、10年後の2012年には、金日成主席生誕100周年に際して過去最大となる101人の代表団を組み、祖国を訪問した

青商会代表団は滞在期間に万景台学生少年宮殿を訪れ、ピョンコマ公演を観覧。宮殿側はこの日のために休日を返上し、総勢500人もの学生少年たちが出演する総合公演を準備した。

特別公演では多彩な演目が披露され、代表団の一員であるパフォーマーの金昌幸さんがジャグリングを披露。また、中央青商会の洪萬基会長らの会員たちが舞台に呼ばれ拍手喝采を浴びるなど、大いに盛り上がった。

最後には代表団全員が舞台へ。互いに肩を組んだ青商会のメンバーたちは、自らの手で新たしい時代を切り開いていこうという決意を込め、声高らかに「朝鮮青年行進曲」を合唱した。

参考文献

〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.6 試練の中で試された真価(2)/しんどい時こそ笑顔と笑いで2021年03月21日、〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.6 試練の中で試された真価(3)/改めて知った「祖国の愛情」2021年03月日、

【特集】祖国訪問記

6年ぶりの平壌訪問/宋 明男

2025年2月15日~3月1日、総聯祝賀団の一員である青商会代表として祖国を訪問しました。

短くない貴重な期間を祖国で過ごし感じたこと・学んだことを記します。

6年ぶりの平壌

これまで職業上の理由から30回以上の訪問を経験させていただいているが、今回の訪問は格別な想いだった。誇らしい青商会を代表しての訪問、6年ぶりという長い期間を空けての訪問、地方発展20×10という新たな政策の下どのように祖国の人民たちが闘っているのかということを確かめに行ける訪問、ということで格別な想いを抱いたのである。

大きな抱負と高ぶる気持ちをもって出発を迎えたとき、痛風が爆発するという事件も起こりながら、何とか羽田と北京空港をくぐりぬけ、北京の朝鮮大使館に。到着したとき時刻は午前1時を回っていましたが、暖かく迎えてくれたことに懐かしい感慨に浸った。

2月15日、6年ぶりの祖国に。

最高人民会議副委員長との暖かい談話の後、空港から平壌へと。

随行記者(カメラマン)として車に同乗したチョルヒョギは、一生懸命に「この街が新しく立った街です」と説明してくれ平壌に着くまでの間、子どもが4人いるといったわたしに驚きながら「息子が欲しいんです」と真剣な相談をしてきた。(距離詰めるの早いな)と思いながらも「その秘訣は今度な」と楽しく話しながら平壌へと。

平壌はというと、それは様変わりしていて風景が一変。(あれ、高麗ホテルってこの辺だったような…)と思うくらい、変貌していた。

今回の訪問で新たにできたデパート(柳景金光商業センター)にも行ってきたが、世界に遜色のないレベルで作られたものを見ると、うれしい反面、毎年見ながら変化を感じ取っていた自分がタイムスリップでもしたかのような少しの寂しさもあった。

人民たちの娯楽施設や食堂なども完備されている姿を見ると、ほほえましくなり、ただ「高いな」と思う価格設定。祖国の人たちに「んで、あなたたちの生活費(賃金的なもの)で、これどうやって買うの??」と突っ込みまくり、いい話も聞けた。(詳しく聞きたい方は、地方で会ったときに…)

街のど真ん中にできたビール屋さん(ドイツ居酒屋的な?)、相変わらずのクオリティを保つ玉流館など新旧名物店たちを巡りながらひたすらわたしが感じていたことは「生活が変わったな」ということだった。

配給システムの変化

ご存じのとおり1995年以降、朝鮮は「苦難の行軍」と呼ばれる時代を体験し、その間に現朝鮮の根幹となる産業と技術革新を促してきた。8000万の朝鮮民族の「独立・解放」という課題を一身に引き受けた結果、犠牲とするものも多かったことは言うまでもない。わたしは、この時代とともに祖国で学び、人々と交わりながら、成長過程を見てきた。自信満々のセセデ人民たちの姿を見ながら、「苦難の行軍」が追憶の中にあるものとして変わりつつある現状に、一番の変化を感じた。

現実にはもちろん課題はあるとして、着実に「強国」になりつつなるなということ、むしろ人民たちのマインドは「強国の人たち」だった。

配給システムも変わっている。

今回、朝鮮の国力・軍事力の増強が生活にどのような影響を及ぼしているのか、その一端を見ることができた。

軍事用飛行場の撤去と温室農場の建設(平壌への併給は60%シェア)、鶏工場の新設など、人民生活に直結した現場を見ることで、技術だけではない新たな軍需から民需へ、という流れを見ることができた。

地方都市の発展。

地方発展20×10の現場も見ることができた。

10年間かけて、地方の郡(200個)を開発し、各々のオリジナリティあふれる発展を持ってこようという政策。アメリカ発の最強の制裁のなか、地方都市が経済生活的に耐えられる確固とした基盤を作るある意味「戦争」とも呼べるであろうこの建設は、朝鮮を語るうえで重要なイシューとなっている。

特に、馬息嶺は素晴らしかった。統一された意思と行動、この地を朝鮮で最も住みよい場所に築き上げるんだという人々の決心が心に染みた。人生初のスキーを楽しめたということももちろんあるが。

朝鮮でも世代交代は進む。人々の生活への要求も高まるだろう。

 それに応えられる政策と実践のためにイルクンが必要。

 党の幹部学校はまさにそれを示していた。未来を人民とともに作り、人民大衆第一主義という政策を貫くためにイルクンを育てる。そこに未来の重要な担保があるのだ。

創党理念と精神を培った人材。これが合言葉のように連呼されていた。

この祖国訪問を終えるまで、わたしは総連の結成世代のイルクン先輩たちの理念と精神に想いを馳せた。

同胞たちのために、すべてを投げうって戦う覚悟を決め、働いてきたイルクンたち。

そのバトンを引き継ぎ、いま現場に立っている自分が、青商会30周年を迎えるにあたり、役員・会員たちと一丸となり、できることをやり切ろう。

素晴らしい祖国訪問の時間を過ごし現場に戻ってきた分、「セシデ・イオ!」のスローガンに恥じないようしっかり働かないとなと、自分に鞭打つ日々を過ごす覚悟である。

新会長紹介

群馬青商会

【名前】申大俊(シン・テジュン)

【年齢】40歳(1985年生まれ)

【所属地域】 中北地域青商会

【出身地】群馬県

【職業】製造業

■会長について

①好きな言葉/座右の銘
止まない雨はない

②会長を受けることになったエピソード
青商会メンバーや、これまで群馬県青商会を引っ張ってきてくれた先輩方の後押しを受け、引き受けることを決意しました。

③思い出深い青商会活動など
青商会主催で行った同胞大野遊会『パリロリンピック』に県内外から150名を超える同胞が参加してくれたこと。
同級生や先輩後輩との久しぶりの再会も多くあり、とても良い1日でした。

■群馬県青商会について

①管轄地域【中北、西毛、東毛地域青商会】

②会員数【20】名

③今期の目標とスローガン
「目標」
・会員拡大
・対外事業の継続発展
・朝青と共同での同胞向けイベント開催

「スローガン」
継続前進、群馬県青商会!!

④今期の主要イベント
・高崎まつり実行委員(対外事業)
・U-12国際交流サッカー前橋市長杯実行委員(対外事業)
・高崎市青年団体連絡協議会活動(対外事業)
・ピダンカップ(ハッキョチャリティゴルフ)
・ハッキョ給食

⑤部署
なし

⑥アピールポイント
群馬県青商会の最大の特徴は、日本の各青年団体との交流や活発な対外事業活動です。
年に1度主催するチャリティゴルフ『ピダンカップ』の参加者は半数以上が日本の支援者、友人です。
ぜひ注目してください!

朝青活動紹介

大衆運動が2段階に突入、
キーワードは「挑戦」

総聯結成70周年を
朝青の力で輝かせよう

現在朝青では朝青結成70周年を輝かせるための大衆運動「ハナモアプロジェクト」を展開中です。昨年10月から始まったこの大衆運動は、4月からついに2段階に突入しました。

第2段階では「ハナモアプロジェクト」で掲げた目標に向け着実に成果を重ねることはもちろん、総聯結成70周年を輝かせる活動に特に力を入れています。

朝青が同胞社会を先頭で引っ張る役割を果たすために、また総聯の70年の歴史と精神を受け継ぎ未来につないでいこうと朝青が新たな「挑戦」を始めました。

その名も「総聯結成70周年を輝かせるための青春の挑戦」。

この「挑戦」の目玉となるのが、SNSを活用した宣伝活動です。

専任イルクンや教員、弁護士やスポーツ選手といった各分野で活躍する朝青員たちに「総聯結成70周年を迎えての思い」や「自分にとっての総聯とは何か」といったリアルな声を聞き広く発信することで、同胞たちに等身大の「青春の声」を届けるプロジェクトです。

90秒ほどにまとめた動画を、4月25日から総聯結成日である5月25日まで2日に1回、朝青中央のFacebook、Instagramを通して発信していきます。

 

ぜひ青商会の先輩たちも動画をご覧いただき、「いいね」「シェア」をお願いいたします!

各朝青のSNS投稿には、「#総聯結成70」や「#青春チャレンジ70」といったハッシュタグが使われています。ぜひハッシュタグをたどって、各地の活動にもご注目ください。

朝青ではまた、総聯の70年の歴史と、在日朝鮮人運動を担ってきた先輩たちの足跡を、今の青年たちが正しく知り、それを次の仲間へと語り継いでいくために学習にも力を入れています。

各地で講演会や座談会、分会や青商会との交流企画などが行なわれ、今ある自分たちの環境が先人たちの献身の上に築かれていることを改めて実感する機会となっています。

この「挑戦」では、「何かをしてもらう」のではなく、「自分たちが立ち上がる」ことを重視しています。総聯主催の記念行事には、朝青が自らの旗を掲げて積極的に参加し、その準備や運営にも深く関わっています。

また、地域の朝鮮会館の清掃や美化活動を多数企画する予定です。自分たちの手で地域のシンボルを美しく整えることで、先代たちへの感謝と、これからの世代への責任を行動で示そうという思いから生まれた発想です。

2段階に入り、各地で様々な活動が行われています。実際には、朝青支部が同胞花見でドリンク販売や子どもコーナーを担当したり、行事そのものの企画・準備を行なった例もあります。地域の小学生たちに入学・進級をお祝いしてプレゼントをあげるなど同胞社会の未来のために朝青が一丸となって活動を繰り広げています。

そして5月27日に東京で行なわれる総聯結成70周年記念公演にも朝青員たちが出演します。70周年を盛大にお祝いしようとする朝青員たちの熱意にご注目ください。

こうした一連の活動は、単なる記念事業ではありません。それは、自分たちの存在意義を見つめ直し、仲間とともに新しい未来を切り拓こうとする「青春の挑戦」そのものです。

朝青にとって、総聯の70年という節目は、新しい一歩を踏み出す出発点。

誇りある歴史と伝統を胸に、今この時代を生きる青年たちが「未来の主人公」として一丸となり、在日同胞社会をさらに若々しく、力強く築いていこうとしています。

その一つひとつの挑戦の先には、次の80年、90年、100年へと続く確かな道が刻まれていくでしょう。

共に力を合わせ、総聯結成70周年をセセデの力で輝かせましょう!

 

今月の#青商会いいね

※いいね数の集計は毎月末日正午時点のものです。

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今月の最優秀いいね賞
九州青商会(いいね56)

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今月の最優秀いいね賞
神戸朝鮮高級学校(いいね133)

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今月の主要日程

5月11日山口コンペチャリティーゴルフコンペ
5月13日長野コンペチャリティーゴルフコンペ
5月14日京都コンペチャリティーゴルフコンペ
5月17日大阪コンペチャリティーゴルフコンペ
5月18.21日九州コンペチャリティーゴルフコンペ
5月18日広島フォーラム実行委員会フォーラム関係
5月20日岡山コンペチャリティーゴルフコンペ
5月20日栃木コンペチャリティーゴルフコンペ
5月24日総聯結成70周年中央大会
5月27日宮城コンペチャリティーゴルフコンペ
5月27日総聯結成70周年記念公演