青商会活動の2本柱の一つである『コッポンオリの未来のために』は前回詳説したが、他方、経済団体としての役割を高めることを目的とする『豊かな同胞社会のために』のスローガンを達成する道のりは前途多難であった。
「相互扶助精神」と「ネットワーク」、ここに活路を見出した青商会は、会員たちが持つノウハウや情報を共有することで相互が豊かになる仕組みを作り出そうとした。業種別部会の設立であった。
1998年のKYC遊技業部会(CPM)設立総会には各地から会員らが参加。
同胞社会の基幹産業である遊技業の場合、「同胞同士と言っても会員間の競争が激しく、業務上の秘密も多かった」(初代部会長を務めた崔英俊さん、当時・中央青商会副会長、兵庫青商会2代目会長)。
『本音を言い合って討議できるわけがない』、しかし『青商会だからこそできるのではないか』という思いで遊技業部会を立ち上げた。
「商売を通じて1世たちが築き上げた伝統を継承していく」という部会の基本精神を打ち出し設立総会及び第1回セミナー(銀座・中央区立中央会館)が行われた。
CPM(チョンサンフェ・パチンコ・マネジメント)と名付けられた遊技業部会は発足後、会員たちの店舗や競合店などの見学を行い、ディスカッションを重ね、商売における情報を共有していった。
「誰かが裸にならんと、みんな裸にならんやろ」、こう言いながら、営業上のデータを開示し、継続的に部会を運営する過程で、会員たちが徐々に心を開くようになっていったという。
いつしか部会では、互いの事業を手助けするため、各店舗の内部情報が惜しみなく共有され、日本の業界に身を置くだけでは知りえない「目から鱗が落ちるような話」が飛び交うようになった。
『日本の業界では絶対に負けられない』というプライド。
「遊技業部会の目的は売上向上だけではない。大切なのは、商売を通じて1世の伝統を次代へ継承していくこと」。
このように会員を拡大していった歴史がCPMにはある。
CPM同様、IT部会(01年9月発足)、同胞若手飲食業経営者研究会『焼肉塾』(03年2月発足)などの業種別部会でも、会員間の「相互扶助精神」と「ネットワーク」は生きていた。
焼肉塾会長を務めた焼肉トラジの金信彦社長、正泰苑の金日秀社長らが中心となって「本音で語り合い、よい情報があれば共有し、夢と希望を分ち合える場」を目指し、セミナーや店舗見学などの活動をともにしながら、互いの絆を深めていった会員たちであった。
『タン塩(塩タン)』文化と切り方が伝授されたのも、ここだとか…
しかし、高いプライドを持つ者同士。時には衝突することもあったという。
「職人気質の会員らが多い『焼肉塾』では、個店主義か多店舗展開主義か、肉を焼くには炭とガスのどちらがいいか。はたまた、つけダレの種類や接客の仕方に至るまで、会員それぞれが意見を譲らず、いつしか喧嘩が始まったこともあった(笑)」(新報記事から抜粋)
第2代会長の曺吉守さんから3代会長の許宗さんは、(当時)福岡県青商会の会長を務めながら組織構築と会員拡大に多くの力を注いだが、そのたび「青商会のメリットは何か」との質問をされたという。
逆に「何を求めているのか」と聞くと、大方の意見は「同胞社会や民族的なつながり」と「ビジネスメリット」に分かれていたとのこと。
「青商会世代の中にはウリハッキョのことに関心がなくても、ビジネスチャンスを求めて青商会に入る人もいる。そのような青商会世代をいかに取り込むか。2本柱がどちらか一方に偏ってはいけない。青商会での経験を生かしてビジネスで成功した会員には『ウリハッキョのためにお金を出してくれ』と頼めばいい。そこに至るまでの仕組み作りが重要だ」(許宗3代目会長)
当時青商会のポジションが組織内で確定されず、ある種の「歯がゆさ」と「疎外感」があったという。
(後輩たちには絶対に同じ思いをさせたくない。今すべきは、青商会の知名度を上げること。青商会として活動できる時間は限られている。できることに全力で挑戦し続けるしかない)
その後、業種別部会のみならず異業種交流会も盛んになり、『青商会が同胞社会に元気を与えよう!』と、あの『ピョンコマ誘致』にいたる。
主導とハブ、現在の青商会の同胞社会におけるポジションは、決して初めから平たんな道に作られたものではなかった。先代たちの想いがあり、何より青商会員自身の努力と実践によって、徐々に、着実に積み上げられた実績の上に、『今の青商会のポジション』があるのである。(続)
日本での巡回ツアーの合間に各地の朝鮮学校、総聯の支部及び分会事務所、高齢同胞の施設や自宅などで小公演を行えるよう万全の準備を整えていたピョンコマは、さらに、各地の朝鮮学校に足を運んだ時のため、ピョンコマの子どもたちはすべての朝鮮学校の校歌を覚えていたという。大小の公演で同胞たちに送るメッセージも、すでに子どもたちの頭の中にあった。
文責 中央青商会
(参考文献『朝鮮新報』〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.4「民族」と「経済」、二本柱の構築(3)部会の根幹は「相互扶助」(2021年1月25日付、『朝鮮新報』〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.4「民族」と「経済」、二本柱の構築(4)攻めの戦略で知名度向上(2021年1月30日付)
【名前】金亨浩(キン・ヒョンホ)
【年齢】41歳(1983年)
【所属地域】 南部地域青商会
【出身地】埼玉県
【職業】建設業
①好きな言葉/座右の銘
やればできる
②会長を受けることになったエピソード
青商会メンバーや同級生の後押しもあり、埼玉ハッキョ教員時代に受けたサランを埼玉同胞に恩返しをしようと決意しました!
ハッキョや学生たちのために奮闘しいる教員たちに青商会から寄り添ったサポートをしたいと思いました!
③思い出深い青商会活動など
当時ハッキョで小さなサッカー大会を開いていたのが、青商会や同級生の力でフィマンカップに発展していき、数多くの教え子たちがサポートに戻ってきてくれていること!
①管轄地域【東部、西部、南部、北部、中部】
②会員数【42】名
③今期の目標とスローガン
・目標
会員拡大
全地域幹事会の役割向上
埼玉教員のサポート
2年連続KYC賞受賞
・スローガン
「継承発展」
先輩たちが作ってきた歴史を継承し
今の時代にあった形に発展させていく。
④今期の主要イベント
オリニーランド
フットサル
ヘバラギカップ
フィマンカップ
⑤どんな部署がありますか?
民族教育支援部
生活文化部
総務部
経営企画部
宣伝広報部
国際部
財政部
⑥アピールポイント
埼玉県青商会主催のイベントには在日同胞だけでなく、多くの日本の方々も参加します。
昨年、イベントに参加された人数は合計3000人を超えました。
今年もいろんなイベントを企画します!
是非遊びにきてください!!
【名前】 車哲安(チャ・チョラン)
【年齢】 39歳(1985年)
【所属地域】東北ブロック・宮城県青商会
【出身地】宮城県仙台市
【職業】古物商(買取店オーナー)
①好きな言葉/座右の銘
義を見てせざるは勇無きなり
②会長を受けることになったエピソード
金正浩東北ブロック長、李正守直前会長の大きな背中を見て、宮城県同胞や母校の為に自分がやらなきゃ誰がやると思い、会長を受ける決心をしました。
③思い出深い青商会活動など
みやとんフェスティバル(宮城同胞夏祭り)で多くの宮城同胞や、日本の方々に「楽しかったよ!」「やっぱり青商会だね!」と言っていただけたこと。
①管轄地域【宮城県】
②会員数【24】名
③今期の目標とスローガン
【RE start】
東北朝鮮初中級学校創立60周年記念事業にオールイン、新規設立法人稼働による収益基盤構築
④今期の主要イベント
チャリティーゴルフコンペ【オリニカップ】
オリニたちを対象にしたキャンプ【KKフェスタ】
東北朝鮮初中級学校【創立60周年記念行事】
行事に伴う【クラウドファンディング】
⑤どんな部署がありますか?
民族教育支援部
生活文化部
経済部
財政部
広告宣伝部
⑥アピールポイント
宮城県青商会は30代前半の若い青商会幹事が多く活躍しており、【宮城県青商会の黄金時代】を目指して活動しております!
今年は【REstart】をスローガンに、創立60周年を迎える東北朝鮮初中級学校を盛り上げるために、東北魂で汗かいていきます!
前回に続いて今回のKYCファイルでは、70年の歴史に刻まれた朝青の伝統と活動について紹介します。
朝青は70年間、広範な同胞青年たちを支部と班に集め、民族性を育みながら次世代の継承者を次々と輩出してきました。
それは結成されてから今日まで変わらない朝青の使命があるからです。
朝青の使命とは一言で、「セセデ団体」、「大衆団体」としての役割を果たすこと。
そして持ち前の若さと勢いで直面する様々な困難にも率先して立ち向かってきました。
70年間朝青は何よりも、同胞青年たちに民族の言葉と歴史を教え民族性を育む活動を通して広範な同胞青年たちを集めていきました。
1960年代、総聯では民族教育を受けられなかった同胞たちに朝鮮語を教える活動が盛んに行われ、朝青も班の強化に力を入れるとともに、この活動に取り組みました。
「一分会にひとつの成人学校、一朝青班にひとつの青年学校」設置運動を繰り広げながら、1964年から1968年までの5年間で約10万人に朝鮮語教育をさせる目標を立て活動しました。
80年代には青年学校(仕事をしている同胞青年に朝鮮語を教える場)を1000個設置することを掲げ、2カ月の間に約6500人が受講しました。
余談ですが、近年同胞青年たちの民族性を育む活動が再注目される中で東京や北海道、福岡などを筆頭に青年学校を開講する動きが活発になっています。
対面とオンラインを駆使して一人ひとりのレベルに合った授業を行なうことで、受講者がハングル検定試験に合格するなど確かな実力を備えられる学びの場として同胞たちからも大変好評をいただいています。
民族性を育む活動は社会人だけではなく学生会(日本の中学、高校に通う同胞青年たちの組織)にまで及び、そんな学生会活動の中で最も力を入れているのが夏の恒例行事、サマースクールです。
通称「サマス」は1965年に始まりました。
全国規模の大交流会という形でクルーズ船の上や離島で行なうなどの様々な工夫をこらして、最も多くて1500人が集まるほど学生会の一大イベントへと成長していきました。
近年は都道府県ごとに開催しており、今年は朝青結成70周年に際して全地域でブロック開催を予定しています。(ぜひ多くの関心とサポートをいただけたら幸いです!!)
支部と班を中心に朝鮮人としてのアイデンティティーを育んでいった同胞青年たちは、私たちの権利を獲得するための活動でその力を遺憾なく発揮してきました。
祖国と日本を往来する権利を獲得する際には大阪から東京まで徒歩行進を行ない日本市民たちの関心を集めたり、「外国人登録法」(外国人登録証の携帯義務や指紋押捺などを強要する法)を反対する際には300万人署名活動を繰り広げるなど(結果的に351万人の署名が集まった)、日本社会に大きなインパクトを残した歴史の先頭には常に朝青がいました。
特に高体連主催のインターハイに朝高生が参加できるよう訴えかけたり、朝鮮学校学生たちにJRの学生割引が適用されるために街頭に立ってビラを配るなど、朝青員たちはかわいい後輩たちのために常に尽力してきました。
そして今も「高校無償化」や幼保無償化、補助金の停止など民族教育を標的にするあらゆる差別に率先して立ち上がり、声を上げ続けています。
朝青はこのような実践活動を通して次の代を継ぐリーダーたちをひとり、またひとりと輩出してきました。
同胞青年たちを集め民族性を育み、継承者たちを育ててきた朝青の70年。
現在、青商会や女性同盟、総聯の支部や分会などで活躍し、その名のとおり同胞社会を守っている先輩たちの多くが朝青活動を経験した卒業生のはずです。
総聯が70年の歴史を紡いでこられたのは、若い同胞青年たちを朝鮮人として育ててきた朝青があったからと言っても過言ではないでしょう。
そしてその使命の重さと誇りを誰よりも自覚しているのも私たち朝青です。
結成当初からの使命と70年を通して築き上げてきた伝統を心に刻み、70周年を輝かせる活動を通して結成100年までの明るいビジョンを打ち出そうというのが今の朝青のメンタリティーです。
これからも同胞社会を先頭で盛り上げ、新しい時代を切り拓いていく朝青の活躍にご注目ください。
3月1日 | 大阪府青商会 | コッポンオリンピック2025 |
3月2日 | 長野県青商会 | 青商会スキーモイム |
3月3日 | NPO法人ウリハッキョ | 理事会 |
3月9日 | 兵庫県青商会 | チャリティーゴルフコンペ |
3月19日 | 東京都青商会 | チャリティーゴルフコンペ |
3月25〜27日 | 中央青商会 | 第三回青商会学園 |
3月29日 | 北海道青商会 | 道民会イベント |
3月30日 | 京都府青商会 | 同胞大運動会 |