96年6月26日、史上初のウリ民族フォーラムの幕が上がった。会場にファンファーレが鳴りひびき、真っ暗な舞台に立った朴昌玉・北海道青商会初代会長に一筋のスポットが当たる。
その瞬間、舞台脇で見守っていた崔寅哲・北海道青商会幹事長の目からはとめどなく涙があふれた。「足が震え、胸の高鳴りを抑えられなかった。イルクン(活動家)人生、後にも先にもはじめての経験だった」。
脳裏に浮かんだのは、朴昌玉会長をはじめ、ともにフォーラムを作り上げた青商会メンバーの姿だった。
「北海道という広大な地域を回って、一人ひとりの青年たちと意見を交わし、時にはぶつかったことや、青商会事務所を新設するときに役員総出で毎晩汗を流し、開所式には各地から青商会会員たちが駆けつけてくれたこと…会場に集まった一人ひとりの顔を見ながら、準備期間のすべてが思い出された」。
フォーラムの目玉となるパネルディスカッション「ウリ民族教育―子どもたちの未来を見つめて」では、「爆発的な討論を期待する」との司会者の言葉に刺激され、3人のパネラーと5人のゲストたちが「民族教育」をテーマに熱い意見を交わした。議論は教育問題だけにとどまらず「在日同胞が置かれた境遇」「異国で朝鮮人として生きていく力の源泉」など多岐にわたった。
韓広希・山口青商会初代会長は、当時、朝鮮新報記者に対して「いつの間にか失いかけていた『大切なもの』をまた取り戻した。教育問題を論じながら、在日同胞の生き方の根本問題に対し深く考えた」と語っている。
また、金光雄・福岡青商会初代会長は、「フォーラム自体は、決して派手なものではなかったが、30代の若い商工人たちが、集まり、語り合う、そのこと自体にびっくりした。会場に集まった多くの会員を目の当たりにし、青商会は、誰かが呼びかければ各地の同胞青年らが駆けつけるネットワークだということを実感した」と当時を振り返っ
フォーラム当日には、道内外の同胞青年たち約300人が参加した。その3分の1が、北海道青商会の会員だった。「当時、北海道には200人ほどの青商会対象世代がいて、その半分にあたる100人が参加した。ちりぢりになりそうだった30代が一所に集まり、その力が集結されたあの瞬間、あの場は、まさに北海道における『大事件』だった」と崔寅哲幹事長は振り返る。
当時はまだ地方組織建設の中途にあった青商会。組織としての方向性こそ決まったが、具体的な活動内容については模索中にあった。そんな中で行われた初のウリ民族フォーラムは、バラバラだった同胞青年たちの志を一つにし、「主人公」としての自覚を与えるものだった。同胞社会のために、自分たちは何ができるのか――。
青商会の、コッポンオリたちの、同胞社会の明るい未来のために…さまざまな思いが込められた杯が掲げられ、会場の雰囲気は、最高潮に達した。
「苦労は多かったが、今はすべていい思い出です」。フォーラムの最後、朴昌玉会長のあいさつに会場からは大きな拍手が送られた。
北海道青商会にとって、フォーラムまでの準備期間は「各地の同胞青年たちとのつながりを作りたい」という一心で、駆け抜けた日々だった。その間重ねた苦労は、青商会メンバーの結束をより強固なものとした。
「こんないいものは、次はわしらがやるから!」――ウリ民族フォーラム96 in北海道(96年6月)の宴会場での韓広希・山口青商会初代会長の一声で、急遽シリーズ化が決まったフォーラム。実はその背景には、中央青商会のある試案があった。
李長五・中央青商会2代幹事長(当時は国際事業部長)は「当時、1回こっきりの企画となっていたフォーラムだったが、10回続けば、組織が変わるだろうという考えを持っていた」と回想する。
中央青商会幹事会での正式な決定ではなかったが、李幹事長には確信があった。「会長、山口ならきっとできます!」。宴会の最後、韓会長のあいさつの前に李幹事長が投げかけた一言が、次回フォーラム開催へと韓会長の背中を押した。
そして翌年6月25日、ウリ民族フォーラム97in 山口が開催される。フォーラムでは「朝鮮人強制連行の玄関口」である地域性を背景に、在日朝鮮人の過去、現在、未来をテーマに3時間に及ぶパネルディスカッションが行われた。
ウリ民族フォーラムを象徴するプレートが初めて登場したのも、山口フォーラムがきっかけだった。壇上では、第1回フォーラムを主催した北海道青商会から山口青商会へとプレートがしっかりと渡された。
プレートを制作したのは、李洪一・中央青商会初代幹事長。材料となる板を東急ハンズで購入し、足立の町工場に通った。プレートは、当時の中央役員たちが案を出し合い、手作業で作ったものだった。
プレートの大きさは「すべての子どもたちのために」という思いを込め、学生たちの机と同じ大きさに。上部にはウリ民族フォーラムという名称を掘り、下部には月桂樹を飾った。中心には、フォーラムの回を重ねるごとに開催地を金のプレートに刻み、貼ることにした。「このプレートとともに青商会の歴史を刻んでいこう。フォーラムが100年続くように」。ずっしりとした頑丈なプレートには、「裏方」たちの熱い気持ちが込められていた。(続
〈青商会、挑戦と継承の足跡〉EP.3(1)、(2)、(3)、(4)2020年12月5日,12月12日,12月20日,12月27日 参照
の愛情」2021年03月日、
2025年2月15日~3月1日、総聯祝賀団の一員である青商会代表として祖国を訪問しました。
短くない貴重な期間を祖国で過ごし感じたこと・学んだことを記します。
6年ぶりの平壌
これまで職業上の理由から30回以上の訪問を経験させていただいているが、今回の訪問は格別な想いだった。誇らしい青商会を代表しての訪問、6年ぶりという長い期間を空けての訪問、地方発展20×10という新たな政策の下どのように祖国の人民たちが闘っているのかということを確かめに行ける訪問、ということで格別な想いを抱いたのである。
大きな抱負と高ぶる気持ちをもって出発を迎えたとき、痛風が爆発するという事件も起こりながら、何とか羽田と北京空港をくぐりぬけ、北京の朝鮮大使館に。到着したとき時刻は午前1時を回っていましたが、暖かく迎えてくれたことに懐かしい感慨に浸った。
2月15日、6年ぶりの祖国に。
随行記者(カメラマン)として車に同乗したチョルヒョギは、一生懸命に「この街が新しく立った街です」と説明してくれ平壌に着くまでの間、子どもが4人いるといったわたしに驚きながら「息子が欲しいんです」と真剣な相談をしてきた。(距離詰めるの早いな)と思いながらも「その秘訣は今度な」と楽しく話しながら平壌へと。
平壌はというと、それは様変わりしていて風景が一変。(あれ、高麗ホテルってこの辺だったような…)と思うくらい、変貌していた。
今回の訪問で新たにできたデパート(柳景金光商業センター)にも行ってきたが、世界に遜色のないレベルで作られたものを見ると、うれしい反面、毎年見ながら変化を感じ取っていた自分がタイムスリップでもしたかのような少しの寂しさもあった。
人民たちの娯楽施設や食堂なども完備されている姿を見ると、ほほえましくなり、ただ「高いな」と思う価格設定。祖国の人たちに「んで、あなたたちの生活費(賃金的なもの)で、これどうやって買うの??」と突っ込みまくり、いい話も聞けた。(詳しく聞きたい方は、地方で会ったときに…)
街のど真ん中にできたビール屋さん(ドイツ居酒屋的な?)、相変わらずのクオリティを保つ玉流館など新旧名物店たちを巡りながらひたすらわたしが感じていたことは「生活が変わったな」ということだった。
ご存じのとおり1995年以降、朝鮮は「苦難の行軍」と呼ばれる時代を体験し、その間に現朝鮮の根幹となる産業と技術革新を促してきた。8000万の朝鮮民族の「独立・解放」という課題を一身に引き受けた結果、犠牲とするものも多かったことは言うまでもない。わたしは、この時代とともに祖国で学び、人々と交わりながら、成長過程を見てきた。自信満々のセセデ人民たちの姿を見ながら、「苦難の行軍」が追憶の中にあるものとして変わりつつある現状に、一番の変化を感じた。
現実にはもちろん課題はあるとして、着実に「強国」になりつつなるなということ、むしろ人民たちのマインドは「強国の人たち」だった。
配給システムも変わっている。
今回、朝鮮の国力・軍事力の増強が生活にどのような影響を及ぼしているのか、その一端を見ることができた。
軍事用飛行場の撤去と温室農場の建設(平壌への併給は60%シェア)、鶏工場の新設など、人民生活に直結した現場を見ることで、技術だけではない新たな軍需から民需へ、という流れを見ることができた。
地方発展20×10の現場も見ることができた。
10年間かけて、地方の郡(200個)を開発し、各々のオリジナリティあふれる発展を持ってこようという政策。アメリカ発の最強の制裁のなか、地方都市が経済生活的に耐えられる確固とした基盤を作るある意味「戦争」とも呼べるであろうこの建設は、朝鮮を語るうえで重要なイシューとなっている。
特に、馬息嶺は素晴らしかった。統一された意思と行動、この地を朝鮮で最も住みよい場所に築き上げるんだという人々の決心が心に染みた。人生初のスキーを楽しめたということももちろんあるが。
朝鮮でも世代交代は進む。人々の生活への要求も高まるだろう。
それに応えられる政策と実践のためにイルクンが必要。
党の幹部学校はまさにそれを示していた。未来を人民とともに作り、人民大衆第一主義という政策を貫くためにイルクンを育てる。そこに未来の重要な担保があるのだ。
創党理念と精神を培った人材。これが合言葉のように連呼されていた。
この祖国訪問を終えるまで、わたしは総連の結成世代のイルクン先輩たちの理念と精神に想いを馳せた。
同胞たちのために、すべてを投げうって戦う覚悟を決め、働いてきたイルクンたち。
そのバトンを引き継ぎ、いま現場に立っている自分が、青商会30周年を迎えるにあたり、役員・会員たちと一丸となり、できることをやり切ろう。
素晴らしい祖国訪問の時間を過ごし現場に戻ってきた分、「セシデ・イオ!」のスローガンに恥じないようしっかり働かないとなと、自分に鞭打つ日々を過ごす覚悟である。
【名前】申大俊(シン・テジュン)
【年齢】40歳(1985年生まれ)
【所属地域】 中北地域青商会
【出身地】群馬県
【職業】製造業
①好きな言葉/座右の銘
止まない雨はない
②会長を受けることになったエピソード
青商会メンバーや、これまで群馬県青商会を引っ張ってきてくれた先輩方の後押しを受け、引き受けることを決意しました。
③思い出深い青商会活動など
青商会主催で行った同胞大野遊会『パリロリンピック』に県内外から150名を超える同胞が参加してくれたこと。
同級生や先輩後輩との久しぶりの再会も多くあり、とても良い1日でした。
①管轄地域【中北、西毛、東毛地域青商会】
②会員数【20】名
③今期の目標とスローガン
「目標」
・会員拡大
・対外事業の継続発展
・朝青と共同での同胞向けイベント開催
「スローガン」
継続前進、群馬県青商会!!
④今期の主要イベント
・高崎まつり実行委員(対外事業)
・U-12国際交流サッカー前橋市長杯実行委員(対外事業)
・高崎市青年団体連絡協議会活動(対外事業)
・ピダンカップ(ハッキョチャリティゴルフ)
・ハッキョ給食
⑤部署
なし
⑥アピールポイント
群馬県青商会の最大の特徴は、日本の各青年団体との交流や活発な対外事業活動です。
年に1度主催するチャリティゴルフ『ピダンカップ』の参加者は半数以上が日本の支援者、友人です。
ぜひ注目してください!
現在朝青では朝青結成70周年を輝かせるための大衆運動「ハナモアプロジェクト」を展開中です。昨年10月から始まったこの大衆運動は、4月からついに2段階に突入しました。
第2段階では「ハナモアプロジェクト」で掲げた目標に向け着実に成果を重ねることはもちろん、総聯結成70周年を輝かせる活動に特に力を入れています。
朝青が同胞社会を先頭で引っ張る役割を果たすために、また総聯の70年の歴史と精神を受け継ぎ未来につないでいこうと朝青が新たな「挑戦」を始めました。
その名も「総聯結成70周年を輝かせるための青春の挑戦」。
この「挑戦」の目玉となるのが、SNSを活用した宣伝活動です。
専任イルクンや教員、弁護士やスポーツ選手といった各分野で活躍する朝青員たちに「総聯結成70周年を迎えての思い」や「自分にとっての総聯とは何か」といったリアルな声を聞き広く発信することで、同胞たちに等身大の「青春の声」を届けるプロジェクトです。
90秒ほどにまとめた動画を、4月25日から総聯結成日である5月25日まで2日に1回、朝青中央のFacebook、Instagramを通して発信していきます。
ぜひ青商会の先輩たちも動画をご覧いただき、「いいね」「シェア」をお願いいたします!
各朝青のSNS投稿には、「#総聯結成70」や「#青春チャレンジ70」といったハッシュタグが使われています。ぜひハッシュタグをたどって、各地の活動にもご注目ください。
朝青ではまた、総聯の70年の歴史と、在日朝鮮人運動を担ってきた先輩たちの足跡を、今の青年たちが正しく知り、それを次の仲間へと語り継いでいくために学習にも力を入れています。
各地で講演会や座談会、分会や青商会との交流企画などが行なわれ、今ある自分たちの環境が先人たちの献身の上に築かれていることを改めて実感する機会となっています。
この「挑戦」では、「何かをしてもらう」のではなく、「自分たちが立ち上がる」ことを重視しています。総聯主催の記念行事には、朝青が自らの旗を掲げて積極的に参加し、その準備や運営にも深く関わっています。
また、地域の朝鮮会館の清掃や美化活動を多数企画する予定です。自分たちの手で地域のシンボルを美しく整えることで、先代たちへの感謝と、これからの世代への責任を行動で示そうという思いから生まれた発想です。
2段階に入り、各地で様々な活動が行われています。実際には、朝青支部が同胞花見でドリンク販売や子どもコーナーを担当したり、行事そのものの企画・準備を行なった例もあります。地域の小学生たちに入学・進級をお祝いしてプレゼントをあげるなど同胞社会の未来のために朝青が一丸となって活動を繰り広げています。
そして5月27日に東京で行なわれる総聯結成70周年記念公演にも朝青員たちが出演します。70周年を盛大にお祝いしようとする朝青員たちの熱意にご注目ください。
こうした一連の活動は、単なる記念事業ではありません。それは、自分たちの存在意義を見つめ直し、仲間とともに新しい未来を切り拓こうとする「青春の挑戦」そのものです。
朝青にとって、総聯の70年という節目は、新しい一歩を踏み出す出発点。
誇りある歴史と伝統を胸に、今この時代を生きる青年たちが「未来の主人公」として一丸となり、在日同胞社会をさらに若々しく、力強く築いていこうとしています。
その一つひとつの挑戦の先には、次の80年、90年、100年へと続く確かな道が刻まれていくでしょう。
共に力を合わせ、総聯結成70周年をセセデの力で輝かせましょう!
5月11日 | 山口コンペ | チャリティーゴルフコンペ |
5月13日 | 長野コンペ | チャリティーゴルフコンペ |
5月14日 | 京都コンペ | チャリティーゴルフコンペ |
5月17日 | 大阪コンペ | チャリティーゴルフコンペ |
5月18.21日 | 九州コンペ | チャリティーゴルフコンペ |
5月18日 | 広島フォーラム実行委員会 | フォーラム関係 |
5月20日 | 岡山コンペ | チャリティーゴルフコンペ |
5月20日 | 栃木コンペ | チャリティーゴルフコンペ |
5月24日 | 総聯結成70周年中央大会 | |
5月27日 | 宮城コンペ | チャリティーゴルフコンペ |
5月27日 | 総聯結成70周年記念公演 |