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思えば、 これらは、 ]の席で松井から「今でもピッチャーに未練はあるんですか」と尋ねられた際には「それはもう、むちゃくちゃある」と答えた。また、両者はイチローが1学年上の関係だが、愛工大名電高校と星稜高校両校の野球部には交流があり、年に数回合宿を兼ねた練習試合を行っていたため高校時代に対戦経験がある。, 後にシアトル・マリナーズで同僚となったケン・グリフィー・ジュニアが憧れの選手だった[290][291]。, グリフィーについては「あこがれの存在」と公言し、寮の自室にそのユニフォームを飾り、打撃フォームも真似ていた[292][293]。1995年のオフにテレビ番組の企画で初対面すると、「腕(の太さ)が倍になったらメジャーを考えます」とグリフィーに約束すると、1999年のマリナーズのキャンプ参加時に再会。休日は一緒にNBAを観戦する姿などが見られた[292]。メジャー移籍後にグリフィーと再会した2002年には、「やっぱり彼は僕にとってメジャーリーガーの象徴。メジャーに興味を持ったのも、彼の美しさ、スピードを見て感銘を受けたからなんです」と語った[43]。2009年にはグリフィーがマリナーズに復帰しチームメイトとなる。9年連続200安打達成の際のインタビューで、「ジュニアの存在は計り知れない」とグリフィーに感謝を示すと共に「シアトルの天然記念物に指定すべきだね。みんなで守っていかないといけないと思いますね」と語る[294] ほど普段から仲が良く、じゃれ合っている姿がよく見られた。また、当時のグリフィーはイチローをくすぐることを日課とし、グリフィー曰く「安打をよく打つから」くすぐっており、2009年のイチローの27試合連続安打のときには毎日くすぐらなければならなかったので大変だったという[295]。グリフィーの引退が発表された2010年6月2日の試合では、気持ちの整理もできないまま混乱した状態で試合に出場したと語るも、延長10回に二塁ベース後方に砂上に描かれたグリフィーの背番号「24」の右端へのサヨナラ打を放ち引退に華を添えた[296]。2013年にグリフィーがマリナーズの球団殿堂入りした際のセレモニーには、英語でのビデオメッセージを送った[297]。, 2004年から2012年途中まで、セーフコ・フィールドの右翼席最前列には手作りボード(イチ・メーター)でイチローの安打数をカウントし、応援するファンがいた。移籍後も交流が続いている(前述)。, 2010年7月の試合で、守備に就いたイチローがファウルボールを追った際、観客席の女性ファンと衝突。イチローはスピードを出してファウルボールを追っていたため、すぐさま「Are you OK?(大丈夫?)」と声をかけた。突然の出来事に、女性は「I'm OK(大丈夫)」と答えた後、興奮して「Oh my god!(オーマイゴッド)」と繰り返した。現地テレビ局はそのリアクションの大きさに注目、MLB公式サイトも各局の映像をまとめて取り上げた[298]。, 2012年7月23日、デス・キャブ・フォー・キューティーのフロントマン、ベン・ギバードは、同日ヤンキースに移籍したイチローに捧げる楽曲「Ichiro's Theme」をインターネット上で公開した。マリナーズの大ファンを公言するギバードは「この曲は数年前に書いたものだけど、今日が公開するのにベストな日だと思う」というメッセージと共に音源をアップし、「イチロー、最高な年月をありがとう。いつまでも懐かしく思い出すよ」と感謝の意を表した[299][300]。, 2007年10月21日、地元のアメフトNFLチームシアトル・シーホークスに招待され、12th Man Flag Raiserを務めた。12th Man Flag Raiserとはシーホークスの試合開始前のセレモニーで、フラッグ(旗)を揚げる人のことである。通常、地元の有名人などが務める。旗を揚げる前にはイチローの安打記録達成の瞬間などがハイライト映像として流され、その後ファンの大歓声に応えた[301]。, 2008年8月17日、同点の9回裏1死2,3塁という場面でメジャー移籍後初めて内野(二遊間)の守備位置についたが(いわゆる5人内野シフト)、四球で満塁になったところで外野に戻り、守備機会はなかった。, 2001年、『走れ!イチロー』(2001年・監督大森一樹)にイチロー役として出演。台詞は無かった。, 2006年には『古畑任三郎 ファイナル』第2話に、主人公・古畑と対決する犯人役「シアトル・マリナーズのイチロー」として出演した。イチローは古畑シリーズのDVDを全巻持ち、古畑任三郎のテーマ曲を部屋でかけるほどの大ファンと公言していたことから出演に至った。2004年シーズン終了後の10月より1年以上の期間をかけて撮影された。, 古畑シリーズの脚本家である三谷幸喜はエッセイ[いつ? 野村克也×福本豊 2019年パリーグ最下位のオリックス。 個の集合体がチームであ ... 黒木優太 2019年6月にトミージョン手術を受けてから一年半。 黒木優太が支配下 ... アルバース 去就が注目されていた、アルバースとロドリゲス。 本日発表された保留者 ... 64人 近藤大亮と西浦颯大が育成契約に。 近藤はトミージョン手術後、西浦は両側突 ... 水本勝己 既報通り、水本勝己前広島二軍監督と元広島の梵英心が、それぞれ一軍ヘッド ... 14 ~オリックス、2021年度組閣①(一軍編) の巻~、~オリックス、2021 ... rakuten_design="slide";rakuten_affiliateId="14c630c2.91e15afd.14c630c3.24887215";rakuten_items="ranking";rakuten_genreId=0;rakuten_size="300x250";rakuten_target="_self";rakuten_theme="gray";rakuten_border="on";rakuten_auto_mode="on";rakuten_genre_title="off";rakuten_recommend="on"; Copyright© オリックスの凋落は、 2000年5月13日の対ロッテ戦では、1回裏の打席で後藤利幸の投じたワンバウンドの悪球を打ちにいき、ライトに運んでヒットにしている[159]。, 1軍に定着したNPB時代の1994年シーズンからメジャー移籍後の2010年シーズンまで、17年連続で打率3割以上を記録し続け、その間に首位打者を9度獲得。さらにメジャーでは3000本安打達成者で最高となる通算打率.311を記録し、通算打率が3割をきったのもルーキーイヤーの2試合後に通算9打数2安打の.222としたときのみである[160]。しかしながら、本人は「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視している[161]。2002年に行われたインタビューでも、「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」と質問され「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と答えている[162]。また、NPB/MLB合わせて12回記録している最多安打は、すべて両リーグ最多安打である(メジャーでの最多安打を逃した2002年・2003年・2005年シーズンはすべてリーグ2位。不振に苦しんだ2011年に初めて9位に終わった)。, 出場試合数や四死球数など外的な要因によっても数値が上下に大きく変動する打率よりも、一つ一つの積み重ねた結果が反映される安打数を重視するプレースタイルは、オリックス時代にイチローの打撃投手を務めていた奥村幸治の提案であった。1994年シーズンにおいて210安打を達成する際に、周囲の話題が上がり続ける「イチローの打率」に集中し、「ついに4割打者誕生か」と騒がれた。しかし、これではイチローと言えども気になりやすいということで、イチローが試合でのびのび打てるように、「安打数」に目をつけた[163]。後年奥村は「だからイチローに、“1日1本のつもりで積み上げていこうよ”と声をかけたんです。すると彼も、“いいですね”といって、それ以降、電光掲示板の打率を見なくなった。ただ僕は大変でした。大記録が近づくにつれ、周囲の期待がわかるから、“これはぶつけられないぞ”とね(笑い)」と語っている[163]。, 打席に入ると、背筋を伸ばして後傾気味に重心を取り、右手でバットを垂直に揃え、左手を右上腕部に添える動作を、必ず行う。この動作は1996年シーズンの後半から行うようになり、それまでは左手を右上腕部に添える動作がなく、代わりにバットをぐるぐると回していた。バットを回す動作は、イチローが子供の時に憧れてモノマネを得意としていたという田尾安志と酷似している。これは眼の焦点をスコアボードに合わせた後、バットへ焦点を変えることによって、ボールに対する動体視力を一時的に上げる効果があるとも言われている[164]。この特徴的な動作と、バットコントロールの巧みさからイチローのバットはメジャーで「magic wand(『魔法の杖』の意)」と称される[165]。バッティングフォームはメジャーリーグ移籍直後は日本より数段速いと言われるメジャーの直球に対応するため、振り子打法と呼ばれるハイキックをやめてオープンスタンスを採用するなど、止めどなく変化を続けているが、フォームの変更については「言っておきたいのはフォームを変えたのではなく、変わったのだということです。変えるのと変わるのでは全然違うと思います」と語っている[166]。2004年6月24日の夜に行ったフォーム改造では「小さい頃に野球をやっていた時に感じたのと、近い感覚が戻ってきた」と語っている[167] このシーズン、メジャー記録となる262安打を放っている。2005年からは、四球の数こそ増えないものの、待球により、球数は増えている。2007年からは内角対策のために猫背になることがある。2008年は自分のストライクゾーンを狭めて悪球打ちをせず、ストライクゾーンに来た球だけを振るようにしたことにより、四球が若干増えた。下半身は、やや内股気味に小さく両足を開いて構える。, NPB時代の通算得点圏打率で.365[30]という数字を残している。シーズンでは、NPB時代に1996年から1998年までリーグ1位、1994年・1995年・2000年でリーグ2位を記録。メジャー移籍後は2001年と2004年にリーグ1位、2007年にリーグ2位を記録している。こうした得点圏での強さから、本塁打の少ない打者でありながら敬遠四球の数が多く、NPB/MLB通算で266個を記録しており、NPBでは6年連続6度・メジャーでは3度の最多敬遠を記録している。満塁にも強く、NPBでは通算満塁打率.363を記録しており[30]、メジャーでは通算満塁打率.409(115打数47安打)を誇っている。満塁本塁打率も高く、NPB時代の14.7本に1本の割合(118本中8本)は通算満塁本塁打が7本以上の選手の中では日本プロ野球歴代1位であり、駒田徳広と並ぶ6年連続満塁本塁打の日本プロ野球記録も持っている。メジャー移籍後は満塁本塁打を4本放っており、満塁では長打率が上がる傾向にある。, 高い得点圏打率を記録しているものの、打順の関係や敬遠四球の多さから得点圏での打数自体が少なく、本塁打の数が長距離打者ほど多くないことも相まって、シーズン100打点以上を記録したことは1度もない。NPB時代の1995年には打点王を獲得しているが、得点圏打数はわずかに92であった。1999年も100打数にすら到達しておらず、メジャーで159試合出場した2003年も105打数に終わっている。他の年はほとんど120打数前後である。1997年のみ他の年と比べて得点圏打数が突出しており(166打数)、この年は91打点を記録した。メジャー移籍後の2001年には、ほとんどの試合で1番打者として出場し本塁打が1桁ながら、69打点をマークしている。2005年と2007年には1番打者で68打点(1番打者としてのシーズン打点数ではマリナーズの球団記録)を稼いだ。打点に関しては本人は重視しておらず、2009年にNPB/MLB通算1000打点を達成した際、「打点のことは全く頭になかったですね」と口にしている[168]。また、このような勝負強さから、メジャー移籍後の2002年に3番打者を数試合任されたこともあった。この間の打率は.571と打ち込んだが、日本時代に自身が中軸を任されたシーズンのチームが低迷した経験からか、本人は「僕が3番を打つということは、チーム状態が良くないという証。良いことではない」と述べている[169]。, 左打者ながら、右投手よりも左投手に対する打率が高く[注 24]、日本時代の対左投手通算打率が.371[30]、MLB時代の対左投手通算打率が.329であり、それぞれ自身の通算打率を上回っている。特に2004年シーズンは対左打率.404を記録した。MLBで左打者での対左投手打率.329は、トニー・グウィン(.325)、ベーブ・ルース(.324)らを抜いてメジャー歴代1位である[170]。, 強肩で知られ、2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった[171][注 25]。1998年に行われたオールスターゲームの遠投競争では、ナゴヤドームのセンターフェンス手前からバックネット近くの城島健司まで推定130mの遠投を披露している。強肩であることに加えて送球のコントロールも良いため、ブラディミール・ゲレーロの送球が「バズーカ」などと呼ばれていたのに対してイチローの送球は「レーザービーム」と称されている。これは2001年4月11日の対オークランド・アスレチックス戦で、ライト前ヒットで三進を試みた一塁走者のテレンス・ロングを正確かつ力強い送球で三塁に補殺した際、実況アナウンサーであったリック・リズが「びっくりだ!レーザービームがイチローから撃ち込まれた!」と叫んだことが由縁。この補殺がイチローのメジャー最初の補殺でもあり、正確無比な強肩を相手に強く印象付けるだけでなく、イチロー自身をMLBに認めさせるプレーにもなった。なお、NPBでは「レーザービーム」という表現が定着しているが、MLBにおいては特段そのように呼ばれることはない。インパクトのある送球を全般的に"the Throw" と表現することが多く、この時の送球もそう表現されている[172]。この非常に精度の高い送球は、引退直前まで変わることは無かった[173][174]。, 捕球にも優れており、NPBではゴールデングラブ賞を1994年から2000年まで7年連続、メジャーではゴールドグラブ賞を2001年から2010年まで10年連続、NPB/MLB通算で17年連続で受賞している。広範囲な守備と強肩のため、イチローの守備範囲に納まる打球は三塁打が二塁打になったり、犠牲フライが併殺外野フライになったりする。イチローの守備する右翼は、その背番号と守備範囲の広さから、機密性が高く警備が非常に厳重であるネバダ州の米軍軍事施設に掛けて、「エリア51」と呼ばれている。, 2005年5月2日の対ロサンゼルス・エンゼルス戦の7回表で、ギャレット・アンダーソンが打ったホームラン性の球を、フェンスをよじ登ってキャッチした。スパイダーマンのように壁を駆け上がって捕ったとメディアが報道したため[175]、「スパイダーマンキャッチ」と称された。, 球際の打球を捕球する際は「走り抜けた方が速い」という持論から、頭から飛び込むダイビングキャッチを試みることは極めて稀である[176]。これには故障や味方との接触を避ける意思もある。オリックス時代はわずかに一度、メジャーでも10年目のシーズンまで一度もなかった。, 高校時代は投手をしていたが登板のない時などは外野手も務めており、夏の甲子園に出場した際には左翼を守っている。プロ入り後、210安打を放った1994年からは本西厚博(のちに谷佳知)、田口壮とともに当時日本一と言われたオリックス外野陣の一翼を担った。NPB時代は主に右翼手を務めたものの、中堅手を任されることも多々あり、一つのポジションに定着することはなかった(1998年は左翼手で20試合以上スタメン出場している。オールスターゲームや日米野球戦でも左翼を守ることがあった)が、1999年シーズン以降は右翼手に固定された。メジャー移籍後は一部の時期を除いてほとんどの試合で右翼を守っており、2006年シーズン途中から2008年シーズン途中まではコンバートによって中堅手を務めた。2012年にヤンキースに移籍した後は、左中間の広いヤンキースタジアムや他の選手の事情などを考慮して左翼手にコンバートされているものの、他の選手の休養などの兼ね合いから中堅手や右翼手としても出場(途中で守備位置が変わることも多々あり、1試合で外野3箇所すべてを守ったこともある)しており、外野をどこでも守れるユーティリティプレイヤーとなった。また、休養時などにDHとして出場することがある。, こうした俊足強肩かつ優れた捕球能力といった総合的な守備力の高さは数字にも表れており、DRSやUZRなど守備指標の各数値は守備の面でも不振に苦しんだ2011年を除き毎年リーグ上位に位置し続け、セイバーメトリクス識者によるフィールディング・バイブル・アワードにも2006年の創始以来、外野手ではカール・クロフォードと並び最多の3回選出されている。打撃と同じく守備でも積極的な傾向が見られ、メジャー10年のキャリアで右翼手リーグトップの刺殺数を7回、中堅手リーグトップの刺殺数を1回記録している。俊足で守備範囲も広いため、本来なら他のポジションの捕球するような打球を、自ら捕りに行く姿がしばしば見られる。2007年の試合では、左翼定位置への犠牲フライを中堅から走ってきて捕球すると、そのまま本塁へ送球したことがある。また2009年の試合では、1点リード9回2アウト満塁の場面からの、一塁側フェンス際へのファウルフライを、右翼から走ってきてスライディングキャッチで試合を終了させたこともある。, 守備機会が多く、積極的な守備であるが失策も少ないために守備率も高く、2001年から2003年まで3年連続で右翼手リーグトップの守備率をマーク。中堅手としてプレーした2007年は刺殺数が400を超えながら失策数を1に留め、それまでマリナーズの球団記録だった1992年ケン・グリフィー・ジュニアの.997を抜く、シーズン守備率.998(のちにフランクリン・グティエレスが更新)を記録している。近年は守備率が低下しており、2008年から2011年まで連続して9割9分を下回っているが、2009-2010年にかけては、フィールディング・バイブル・アワードを2年連続で受賞している。(2012年は再び9割9分を上回った)。, 2015年5月10日には、ジャイアンツ戦にてトリックプレーを披露した。左打者のブランコが放った大飛球に対して、定位置で落下地点に入る振りをした。その後、走者が一・二塁間で足が止まったのを見てから体を180度反転させ、クッションボールを処理。演技力だけでなく胆力も要するプレーについて、イチローは「リスクはあるけど、同点にしたくはない。そりゃあ、どう跳ね返るか分からない。でも、リスクを取らないと利益も取れない」と説明している。敵だけでなく、味方もだまされたプレーに、同じ外野手の青木宣親は「完全にイチローさんのファインプレー。記録に残らないファインプレーですよ」とコメントした[177]。, オリックス時代の1995年とメジャー移籍1年目の2001年に盗塁王のタイトルを獲得している。盗塁は成功率を重視しているため、盗塁数を増やすことに関してはそれほど重視しておらず、特に2006年頃からはクイックモーションや警戒の不充分な相手投手を選んで盗塁する慎重なスタイルをとっている。マリナーズ首脳陣からは、自分の判断で自由に盗塁できる権利(いわゆる「グリーンライト」)を与えられていた[178]。, 盗塁数は年間30から40の間が理想だとコメントしており[179]、2008年は70試合の時点で30盗塁を稼ぐなど[180] 一時は年間70盗塁を超えるペースであったが、中盤から極端に企図数が減り、最終的に40台に終わっている。2009年は中盤に左ふくらはぎを痛め8試合欠場して以降は盗塁企図が減り、メジャー移籍後では初めて30未満に終わったものの、翌2010年と2011年には再び40盗塁以上を記録し、自身初の2年連続40盗塁を達成。理想に掲げた30盗塁以上を記録した2001年から2008年、2010年・2011年はいずれもリーグ5位以内に入っている。, 実際に盗塁の成功率は高く、NPB時代に通算199盗塁で.858、メジャー時代に通算509盗塁で.813の記録を残している。成功率.813は、通算500盗塁以上の選手中でメジャー歴代4位に位置する[181]。シーズン記録では、NPB時代に30盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(1996年、1997年)、メジャー時代に40盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(2006年、2008年)達成している。特に2006年シーズンは45盗塁を記録し、盗塁死を2に留め、.9574という数字を記録した[注 26]。シーズン盗塁成功率.957は、記録が残る1951年以降、シーズン40盗塁以上を決めた選手の中でメジャー歴代1位となっている[182]。また、「シーズン連続盗塁成功」と「シーズンをまたいでの連続盗塁成功」両方のアメリカンリーグ記録保持者でもある。, 怪我のリスクを最小限に抑える目的から、ヘッドスライディングはほとんどすることはない。特に一塁へのヘッドスライディングは最も嫌うところであり、2007年アジア野球選手権大会の韓国戦で一塁へのヘッドスライディングを行なった川﨑宗則に対して苦言を呈したことが話題になった[183][184]。盗塁や進塁の際、アウトになる危険性が高いと判断したときには、トップスピードでのスライディングや走塁から急停止して野手のタッチのタイミングを外す高度なフェイントを見せることがあった。2005年5月15日のボストン・レッドソックスとの試合では、本塁突入の際にホームベース前で急停止した後、外野からの返球を受けてブロックの体勢に入っていた相手捕手のダグ・ミラベリの背中を飛び越そうとするプレーを見せた他、2012年10月8日のディビジョン・シリーズでのボルチモア・オリオールズとの試合では、アウトのタイミングであったのにもかかわらず相手捕手のマット・ウィータースのタッチを二度もかわして生還するプレーを見せている。, こうしたプレーに対してイチローは「(普通は)スピードを上げたくなるが、スピードを落とすという発想(が大事)になる。ブレーキをかけることは別に怖くないし、どんな動きをしても怪我をすることがないという自信がある」と説明[185]、あえて減速することも走塁技術の一環であると考えている。, イチローは走塁が、いわゆる「走攻守」の中で最も難しいと考えている。「走塁は打撃や守備よりも難しい」と口にしており[186]、その理由として、「打撃は成功率が良くて3割強だが、走塁は成功率が10割に近くないといけない」こと、「走塁は、野手の肩や芝生の状態などといったことをすべて考え、それらを踏まえた上で瞬間的な判断をしなければならないから難しい」「スピードがあるから、走塁は難しくなる」ことなどを挙げている[187][188]。, ヤンキース時代、「単打からの本塁生還、二塁打からの本塁生還、ランニングホームラン」など、一人黙々と走塁練習する姿を偶然見掛けたと、ジャーナリストのジョエル・シャーマン記者は述べている。事情を尋ねると、「試合のあらゆる可能性に対応できるようにしておきたい」とイチローは返答している。同記者はイチローの走塁能力などについて、練習を何百時間と繰り返したであろう陰の努力を評している[189]。, 1997年3月13日の巨人とのオープン戦ではレフトフライでタッチアップを行い、レフトの清水隆行から楽々と2塁を奪った[190]。, メジャーリーグに移籍して以降は大きな怪我が1度もなかった。故障者リストに入ったのはWBCの疲労で胃潰瘍になった2009年の開幕時の1度のみであり、主力として活躍した2013年までにおいては毎年平均で約159試合に出場した。, イチローは怪我予防の意識が強く、起床から就寝までほぼ同じ行動パターンを繰り返しており、球場入りの時刻や練習の手順まで乱れず行動を一定化している[191]。また、筋肉が非常に柔らかく、体の柔らかさを高める運動を重視すると共に、クラブハウスでも「ソファに長く座ると腰に負担がかかる」として、他の選手がソファに座る中でも、自身はパイプ椅子を使用し、また「スパイクを履いたままで階段を使用すると滑って捻挫の危険性がある」として必ずスロープを使用する、怪我しやすいヘッドスライディングをしないといった対策を常に立てている[191]。, 他にも衝撃緩和のため「力を抜く」ということ(イチローはサヨナラゲームでチームメイトが騒いでいる時でも、誰かにぶつかられても衝撃を緩和させるように対策をとっている)や、早く練習を始めて体を多く動かすこと[192]、滑りやすい場所では細心の注意を払うなどしている[192]。, ビル・ジェームズが2017年9月に自身のサイト『Bill James Online』で発表したMLBの歴代トップ50プレーヤーに選ばれている[193]。, アメリカの野球専門誌『ベースボール・アメリカ』に掲載された大リーグ30球団の監督による「Best Tools」投票で、イチローは2003年に「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最速ベースランナー」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「最もエキサイティングな選手」の7部門でトップに輝いた[194]。, 2006年の投票では「最もエキサイティングな選手」「最もバントが上手い選手」で1位、「最高の打者」「最高の走者」で2位、「最も俊足のベースランナー」で3位に選出された[195]。2007年の投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」 「最もエキサイティングな選手」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」で1位に、「最速ベースランナー」で2位に選ばれるなど、メジャーリーグの監督から高い評価を受けている[196]。, 2008年のメジャーリーグスカウトによる投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バットコントロール」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「ベスト・ベースランナー」の5部門で1位に、「ベスト・バンター」「最速ランナー」「ベスト・スティーラー」でも2位に選ばれるなど高評価を受けている[197]。, こうした走攻守総合力での高い評価はセイバー・メトリクス上でも現れている。2001年以降WARは一貫してプラスを維持し、2004年は野球シンクタンクのBaseball-Referenceが算出するWARでリーグ1位を記録した。, 『スポーツ・イラストレイテッド』誌では、「イチローを首位打者候補に予想しないのは、タイガー・ウッズを優勝候補から外すのと同じ」と評した。また、同誌は2005年のMLB特集記事において、イチローを「理想の1番打者」と評している[199]。アジア系アメリカ人向けのニュースサイト「goldsea.com」は、2002年に「アメリカで最も感動を与えてくれるアジアのスポーツスター」のランキングを発表すると、姚明(NBAヒューストン・ロケッツ)や野茂英雄らを抑えてイチローを1位に選出した[200]。第1回WBC終了時には、スポーツ専門ケーブル局『ESPN』のコラムニストがイチローを絶賛すると、「イチローを見られるのは、私たちに与えられた特権」と語った。将来の殿堂入りについても言及した[201]。MLB公式サイトは、2009年7月21日にイチローの特集記事を掲載すると、「日本人初の殿堂入りは決まったも同然」と位置付けた[202][203]。, 大リーグの殿堂表彰者からの評価も高く、フランク・ロビンソンは「イチローが殿堂入りできないのは、単に時期尚早だから」としたものの、「でも、5年目から彼の殿堂入りは固いとみていたね。きっと、殿堂入りする。それくらい、いい選手だ」と評価。レジー・ジャクソンも「彼は特別。もう少し、現役を続けなきゃいけないけど、メジャーで凄いことをやってきたからね」とイチローの殿堂入りを支持した。また同じく殿堂入りしているグース・ゴセージも「イチローは、メジャーに来てからというもの、我々が今まで見たこともない選手になった。今までとは違うタイプ。試合をつくるし、毎年200本もヒットを打っている。毎年毎年、それをやるのは、本当にスペシャルな選手なんだ」と評価し、ルー・ブロックも「イチローは他の誰とも違う。野球が本当に上手いんだ。他の打者と同じなのは、バットを手から離す時だけさ」と話した。殿堂表彰者で、イチローをコーチの立場から見ていたポール・モリターも、「イチローが将来、殿堂入りすることは間違いない」と断言し「彼をクーパーズタウンから締め出すものは、何一つないだろう」と話した他、デニス・エカーズリーは「イチローの殿堂入りに何の疑いもない。日本から来て、メジャーの試合までも変えてしまった。今まで見たこともない打者だよ」と語り、メジャーリーグの歴史まで変えた存在としてイチローを評価した[204]。, 2011年に殿堂入りしたロベルト・アロマーは「私は、イチローがいつか殿堂入りするのをここで待っているよ。彼の数字を見れば一目瞭然だろう。何本のヒットを打っているの? 2400本は打っているよね? 大したものだ。彼は首位打者(2回)もゴールドグラブ(10回)も受賞している選手。それだけの記録を持っている選手が殿堂入りしないなんてありえない。彼に、野球殿堂で待っているよ、と伝えておいてほしい」と語り[205]、既にイチローの殿堂入りを確実視している。, 通算3,141安打のトニー・グウィン(2007年殿堂入り)は、「彼のおかげで、みんながコンタクトヒッターの価値を再認識するようになった」と高く評価すると、7年連続200安打の記録を持つウェイド・ボッグス(2005年殿堂入り)も、イチローの殿堂入りを期待してエールを送った[206]。, 米国の野球ファンの間でもイチローの評価は高く、「メジャーで最高の選手」との評価すらある[207]。地元シアトルでは非常に人気が高く、熱心なマリナーズファンのみならず、現地の子供達の間でも、スーパースター的な位置づけを受けている[208]。2007年には、ESPNが行った「マリナーズの顔は誰?」というアンケートで、投票総数3万4166票中96%の票を集めて1位に選ばれた[209]。同年のシアトルの地元紙が企画したファン投票では、地元選手の人気第1位に輝いた。2005年にスーパーボウル進出を果たしたNFLチーム、シアトル・シーホークスでリーグMVPに輝いたRBショーン・アレキサンダーをも凌ぐ快挙に、マルティネス球団マーケティング担当重役もあらためてイチローの存在感に驚かされたという[210]。また、同年にESPNがウェブサイト上で実施した「あなたが理想とする打順は?」というファン投票では、「理想の1、2番打者」の項目でおよそ39%の支持を集め、デレク・ジーター(ニューヨーク・ヤンキース)を抑えてトップに立った[211]。さらに、スポーツ専門誌「Sporting News」が発表した、MLB488選手らの投票によるオールスターにも、アリーグ外野手部門で選出された[212]。翌2008年には、4大ネットワークのひとつ、FOXが各ポジション別に現時点で最高のプレーヤーを選出すると、三塁手のアレックス・ロドリゲス(ニューヨーク・ヤンキース)、右翼手のブラディミール・ゲレーロ(ロサンゼルス・エンゼルス)らそうそうたる顔ぶれの中で、イチローがメジャー最高の中堅手に選出された。打者に不利なセーフコ・フィールドを本拠地としながらも高打率をマークしたことに加え、広い守備範囲と強肩でディフェンス面でも最高の中堅手であり、通算272盗塁(2007年終了時)を決めていることと合わせ、走攻守すべてを絶賛した[213]。同年1月にマリナーズの公式サイトが発表した「チームの歴代ベストナイン」では、右翼手で選出された[214]。2007年のオールスターゲームでMVPを獲得した際には、ニューヨーク・タイムズなどの主要メディアがこぞってトップニュースで報じ、「だれもイチローを倒せない」「歴史をつくった」と見出しに謳った[215]。2008年3月には、スポーツ総合誌「ESPN」の10周年記念特集号で、「この10年で最もスポーツ界にインパクトを与えた10人のアスリート」に選出され、女子テニスのウィリアムズ姉妹や、アレックス・ロドリゲスらと共に名を連ねた[216]。, イチローの殿堂入りに関してもESPNがネット投票を実施し、約83%のファンが賛成に投票し、中でも地元シアトル(当時)のワシントン州では91%だった[217]。2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、デレク・ジーター、マリアノ・リベラ、アルバート・プホルス、ジム・トーミの4人とともにイチローの名前が挙げられた[141]。この中でCBSスポーツは、「日本プロ野球はメジャーに匹敵するわけではないが、両国リーグ合わせ3884安打は十分な数字」と指摘している[141]。2015年の殿堂入り選手発表の時期に合わせて、ESPNやCBSスポーツが殿堂入りの可能性を持った現役選手を特集、その中で「確実」な選手のひとりにイチローを挙げ、MLBで残した数字・実績のみで殿堂入りは確実だと評した[218][219]。, ニューヨーク・ヤンキースの元捕手ホルヘ・ポサダはイチローをメジャーリーグでもトップ5に入る選手だと語り、同じくヤンキースのアレックス・ロドリゲスは、2006年のオールスターゲームの際に、イチローに対して「試合前の調整法を教えて欲しい」として、合同練習を申し込んだ[220]。台湾出身のメジャーリーガーである王建民は、試合開始前のイチローにサインを3つ頼んでいる。元チームメイトのジャロッド・ウォッシュバーンは「(イチローは)何でもできるから、もう何をやっても驚かない」「だが、(手の内を)全部見たと思っても、また違う何かをやってみせる」と寸評している[154]。同じく元チームメイトのエドガー・マルティネスは、イチローの人物像を「少年そのもの」と評している。, 一方で、スポーツサイトSI.comが発表した現役メジャーリーガーのアンケートによる変人選手ランキングで、8位に選出されたこともある[221]。, 2004年のシーズン最多安打記録樹立時の首相の小泉純一郎は、「もうすごいの一語に尽きるね。これだけの偉大な選手はもう当分出ないんじゃないかな。天賦の才能に加えて、人一倍の努力。偉大だね。どんな称賛の言葉を言っても、言い過ぎることはない」などとコメント[222]。また、天皇は、2001年の記者会見で、「イチロー選手を始めとする日本人選手の米国大リーグでの活躍はうれしいことでした」と述べ[223]、2004年の記者会見では、「イチロー選手の大リーグで成し遂げた大きな成果も心に残ることでした」と述べている[224]。2009 ワールド・ベースボール・クラシック後は野球界のみならず政界などの各方面からもイチローを賞賛するコメントが発せられた。キューバのフィデル・カストロ元議長は、決勝戦後に「イチローは世界最高の打者」と語った[225]。, 各種メディアでの調査等でも、イチローの高い人気が証明されている。マークスJPによる「最も好きなスポーツ選手」ランキングではあらゆる世代で2位以下を圧倒し1位となった[226]。東京商工会議所が実施した新入社員の意識調査によると、「理想の社長」の項目で北野武と並んで1位[227]、中央調査社による2007年の「最も好きなスポーツ選手」でも1位であった[228]。また、2007年にオリコンが実施した「好きなスポーツ選手」の調査でも男性選手部門で1位[229]、「世界に誇れる日本人」のランキングでも、男性部門で1位となった[230]。2008年に同じくオリコンが実施した「世界で活躍する日本人アスリート」のランキングでは2位以下に圧倒的な差をつけて1位になった[231]。gooによる憧れの理想体型を持つ男性有名人ランキングでも、1位であった[232]。博報堂が行った「アスリートイメージ評価調査」では、「好感が持てるアスリート」で1位となり、総合ランキングでも1位となった[233]。2009年には、学校法人産業能率大学が新入社員を対象に実施した『理想の上司』のアンケートでは、「男性上司」の部門で1位の座に輝いた[234]。, 2014年にレイズのエバン・ロンゴリアは、これまでに大リーグでチームメートだったり、対戦した日本人の中で最も印象に残る選手を訊かれ、「そりゃイチローだよ。すべてにおいて優れた選手だ。将来、米野球殿堂入りするだろう。日本人の中でというのではなく、あらゆる選手の中でも抜群だと思う」と答えた[235]。, 2014年にCBSスポーツ電子版は、大リーグの歴史のなかで「最も成功した日本人選手は誰か」を特集。指標WARを用いたランキングを紹介、トップに立ったイチローを「日米ともに殿堂入りする選手で驚きはない」とし、さらに「私たちが今まで目にした最良かつ最もダイナミックなオールラウンドプレーヤーの一人」と評した[236][237]。, 2015年に殿堂入りしたペドロ・マルティネスは、ESPNの取材に対し、現役時代もっとも手強かった打者としてバリー・ボンズ、エドガー・マルティネス、デレク・ジーター、ケニー・ロフトン、イチローの5名を挙げた[238]。, 2014年、マリナーズはセーフコ・フィールド内にケン・グリフィー・ジュニア、アルビン・デービス、イチローの功績を称える新施設を設置すると公表した[239]。2015年現在、イチローの写真が飾られた会議室(マリナーズは「our Ichiro conference room」と表現)がある[240]。, NPB・MLBにてプレーする日本人選手の中では2016年シーズンに最年長野手になっている[注 27]。これまでに様々な伝説を残しており、メディアや国民に「日本における生きる誇り」「世界のイチロー」と言われることがある。メジャーリーガーとしてこれまで本拠地全30球場のほかに、旧球場9カ所、12年、19年に日本開幕戦が行われた東京ドーム、16年のノースカロライナ州フォートブラッグ陸軍基地内など計41球場でプレーしている。, 子女はいない。飼っている柴犬を非常に可愛がっている。名を「一弓(いっきゅう)」と言い、命名は、自身と妻の名「一朗」「弓子」から一文字ずつを採って「一(いつ)」+「弓(きゅう)」としたものである[241]。, 名は「一朗」だが次男である。4歳年上の兄・鈴木一泰は、グラフィックデザイナー。イチローが使用する野球用品には、彼がデザインした専用ロゴが刻まれていた。主な作品に日本BS放送のマスコット「BEAMO」、ボビー・オロゴンの「もす!」Tシャツのロゴなどがある。姪(一泰の娘)にファッションモデルの鈴木来海がいる。, バットはミズノの篠塚和典モデルがベースであるという。ヘッドを軽量化させており、直径60.5ミリという極細。芯の部分も細く、使うには相当な技術が要求される[242]。バット製作にあたってミズノの工場内にある歴代選手シグネーチャーモデル展示室に並ぶバットの中で、本人いわく「遠くから見ても、それだけがもうチカチカ輝いていた」と言い、手に取ると何から何まで自分にピッタリであったとのことである。自分の調子に合わせてバットを変えるのではなく、バットに合わせて自分を調整していくため、オリックス入団時から一貫して同じ形のバットを使い続けている。イチローを含め様々なプロ野球選手たちのバットを作ってきた、バット職人である久保田五十一は、「私の記憶の中では、これほど(バットを)変えない方はいらっしゃらないですね」とイチローについて語っている[243]。長年、北海道産のアオダモ材を使っていたがメジャーではアメリカの気候も考慮してホワイトアッシュ材に変更した[244][245]。メジャー2年目の夏には再びアオダモに戻していたが近年では高品質な北海道産のアオダモの採取が困難になりホワイトアッシュを使用している。, スパイクシューズは2003年モデルまでは神戸・高塚台のアシックス工学研究所、2004年以降は鳥取・境港の山陰アシックス工業が製作していた。年々改良が続けられている専用シューズは軽量化に重点が置かれており、2009年モデルは片足約250グラムという超軽量化を実現している。反面、スパイク部分に使用されている特殊素材は軽量化の代わりに耐久性を犠牲にしており、3試合程度の使用で新品と交換している。同社がイチローのために製造しているシューズは試合用と練習用を合わせて年間150足を超える。1995年からアドバイザリー契約を結んできたが、終了、2015年シーズンはスポーツジム・ワールドウィングが開発した「ビモロスパイク」を使用する[246][247]。, バットやグラブを「道具ではない。自分の一部。自分の体の一部」だと語るほど、使う野球用品を非常に大切に扱っている[172]。そのため、打った直後も必ずバットを静かに置く。オリックス時代に1度だけベンチへ戻る際にバットを放り投げたことがあり、そのときのことについて、「後ですごく後悔して、それから特に道具に対する気持ちが強くなってますね」とインタビューで答えている[248]。, セーフコ・フィールドのダグアウトにはイチロー専用のバットを置くための穴が開けられていたが、イチローの移籍後に塞がれその跡がかすかに残るのみとなっている[249]。, 他の選手の野球用具は絶対に触らない。チームメイトだった城島健司は「他人のグローブ・他人のバットは絶対に触らないですからね。手に重さだったり形だったりが残るのが嫌なんですって」と述べている[144]。, グラブの手入れについて「気持ちが芽生えてきますから。グラブに対する気持ちが」「作ってくれた人に対する感謝、小さい子なら買ってくれた人への感謝の気持ち、自分のプレイに対する愛情。こういうところが、グラブを磨くことでとても変わってくるんですよ」とインタビューで答えている。また、自身が子供にグラブの手入れをするよう呼びかけることについては、「決して『きれいにしろ』というだけの意味ではありません。そのグラブで練習をしたことっていうのは、体に、必ず残るわけですよ。記憶が体に残っていく。でも、何も手入れしてない汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残らないですよね。そういう意味もあるんですよ」と答えている[250]。グラブの紐を一部結ばず、だらしなく見えるような状態で使用しているが、本人へのインタビューによると「グローブの先まで神経がある感覚がほしい。その為には(紐を)結ばない方がいい箇所がある。(結ばない方が)手の延長になりやすい」と答えている。, 2008年3月、それまでイチローのグラブを作っていた坪田信義が引退し、坪田の弟子である岸本耕作がイチローのグラブ製作を引き継いだ[251]。イチローは2008年シーズンいっぱいを岸本のグラブで過ごし、ゴールドグラブ賞を受賞。このことについてインタビューで「岸本さんのグラブになってゴールドグラブ賞がとれなかったら、おそらく岸本さんは自分を責めたでしょう。僕はそれを何としても阻まないといけないという思いで守っていました」と答えている[252]。, プロ入り後に背番号「51」をつけることになったきっかけについては、豊田章男との対談の中で、自分はドラフト4位で入ったので背番号を選べる立場ではなく、オリックスから与えられた番号だったと明かしている[253]。レギュラーとして定着した1994年のオフに、オリックスから背番号変更を打診された(当時レギュラー選手は若い番号をつける傾向があったため)。しかし、せっかくファンの人に覚えてもらった番号なのだからと51番をつけ続けた。MLB移籍後も長年51番だったが、2012年のヤンキース移籍の際はバーニー・ウィリアムスに敬意を表して、彼がメジャーデビューから引退までつけていた51番(当時は準永久欠番扱い、2015年より永久欠番)を避け、「31」を選択した。31番を選んだ理由については、会見の席で「フィーリングでしょうね。「1」が欲しかったというのはあります。響きとサインを書いた時のバランスとかで」と話した[63]。2015年のマーリンズ移籍後は再び51番をつけている。, なお、イチロー退団後のオリックスでは51番を準永久欠番として扱っておりイチローの退団以降2018年現在まで誰も着用していない。マリナーズではイチローが2018年に復帰し着用するまで51番を空き番号としていた。, 少年期からドラゴンクエストのファンであり、プロ野球選手になってからもよくプレーしている[254]。また、イチロー所縁の品が展示されているアイ・ファインには、イチローが少年期にプレーしたドラゴンクエストシリーズのソフトが展示されている[255]。好きな漫画は『キャプテン』で、「多くの事を学んだ」と言いブルーウェーブ入寮時にも持ち込んでいる[256][257]。, 自動車好きであり、1995年から日産自動車のCMに出演している。日本では日産自動車のシーマ、インフィニティQ45、ホシノインパルで1000万円以上かけて改造したマーチなどに乗っていた[258]。アメリカでは同じく日産自動車のインフィニティ・G35クーペ、ポルシェ・カレラGT、ポルシェ・911、オールスターMVPの副賞として贈呈されたシボレー・タホ・ハイブリッドなどを所有している。, 偏食家で野菜嫌い。海苔に醤油を付けハケのようにしてご飯に塗ったものの「ご飯部分」が好物である[259]。独身時代から牛タンが好きで、オリックス時代から神戸の牛タン専門店の常連であり、開幕日の前夜は欠かさず食べていた[260]。渡米してから2007年までは、シアトルの自宅での朝食には弓子夫人手作りのカレーを食べていた[144][261]。その後、毎朝のカレーをやめて食パン、うどん、素麺などを摂っている。夕食は弓子夫人の作るイタリアン、フレンチ、日本食、中華を食べている[262]。, 自らがCMに出演している佐藤製薬のユンケル黄帝液を愛飲している。遠征時には特注の専用ケースにユンケルを詰めて持って行く[144]。WBC優勝後の会見の際には川﨑宗則が「(イチローが)ユンケルを飲むのは試合の1時間前」であることを明かした[263]。, メディアのインタビューにて「サンドラ・ブロックが好きだ」と話している。好きな映画には『ビューティフル・マインド』、『フェイス/オフ』、サンドラ・ブロック製作・主演作『デンジャラス・ビューティー』を挙げた(いずれも2004年のインタビュー時点)[262]。, マリナーズ時代、セーフコ・フィールドの右翼席最前列には、イチローの年間安打数をカウントする「ICHI - METER(イチ・メーター)」という手作りの紙ボードを掲げるファンがいた。掲げていたのはエイミー・フランツという女性ファンの一家で、1996年から毎年シーズンチケットを購入している熱心なマリナーズファンだという。イチ・メーターという名前の由来は「イチロー」と「メーター(測定機)」を掛け合わせたものであり、シアトルの野球ファンの間では有名である[264]。, 安打数のカウントは、イチローが最多安打記録を達成した2004年シーズンから開始された。262安打をカウントした初代イチ・メーターはアメリカ野球殿堂に寄贈されており、2012年までのイチ・メーターは二代目である[265]。, イチローのヤンキース移籍直後の、2012年7月23日(米国時間)のセーフコ・フィールドでのマリナーズ戦にもイチ・メーターを持参しており、イチローが試合前に感謝の意を込めてボードにサインをしている。イチローはこの年の11月に、サインを入れたマリナーズ時代のバットやスパイクと共に、感謝の気持ちを綴った手紙を贈った[266]。, 2013年8月にはエイミーがイチローのNPB/MLB通算4000安打をカウントするためニューヨークまで駆けつけ、達成の瞬間を見届けた。その年のオフ、エイミーの元にイチローからメッセージカードと4000安打達成時に着用していたリストバンドが届いた。メッセージカードには「イチ・メーターが4000まで数えられるとは知りませんでした。来てくれて、ありがとう」と綴られていた[267]。, 2014年6月11日にシアトルでヤンキース戦が行われた際には、試合前にイチローがエイミーにメッセージ入りのボールを渡した。この日がエイミーの誕生日と知ったイチローからのプレゼントで、ボールには「For Amy, Happy BD!(エイミーへ、誕生日おめでとう)」と書かれていた[268][269]。同時期にジョアンナ・ホールもイチローのサイン入りのボールを受け取った。彼女は大のイチローファンで、脳性麻痺などの障害があり、年に1度だけ誕生日に球場で試合観戦するのが楽しみだという。彼女の家族は、今年はジョアンナを驚かせたいと思い、手配してセーフコ・フィールドのグラウンドに彼女を連れて行った。そこで彼女は試合前のイチローと対面した[270]。2008年には脳腫瘍を持つ日本人少女がメイク・ア・ウィッシュを通じて、イチローと対面するという願いを叶えている[271][272]。, 2015年5月、その年ナ・リーグのマーリンズへ移籍したイチローを応援するため、エイミーがサンフランシスコまで駆けつけた(エイミーは西部シアトル在住で、地元球団のマリナーズとマーリンズはインターリーグでも対戦の予定がないため、ナ・リーグの西部地区に本拠を置くジャイアンツとの試合を観戦。サンフランシスコにはエイミーの息子が住んでいるため親子で応援する姿が見られた)。試合前、イチローがエイミーに駆け寄り「また会えて良かった」と再会を喜んだ[273]。, エイミーは2016年にも4月にサンフランシスコでマーリンズの試合を観戦したほか、イチローのボブルヘッド・ドール(首振り人形)が配布される5月22日に合わせて東部マイアミまで駆けつけ、イチローの応援を続けている[274]

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